屏風山塁は、1977年に発見された城址です。小田原の役での屏風山塁に関する古文書として、天正18年3月19日付の山中城主松田康長から箱根権現別当に宛てた書状で、「昨日は御屋形様(氏直)が屏風山に視察に来られた・・」との記述があり氏直が屏風山塁へ出陣し、ここを中心とした箱根山での迎撃作戦計画があったと考えられています。しかし山中城があっ気なく落城してしまったことから迎撃戦は行われませんでした。
屏風山の山頂周辺に、四方を土塁と空堀で囲われた単郭が残っています。しかし付近はハコネザサに覆われふみ跡も見当たりませんが土塁の痕跡は残っていました。