現地の案内板によると、明治2年までは草花1496番地の平地に十二天と称し鎮座、同年9月草花神社と改称、折立、森山、高瀬、西ヶ谷戸の4部落に鎮座せる4社を合祀し、時の総代塩野源五右衛門他4名の発起で現在地を選定し氏子寄付金その他の労力奉仕により明治4年着工し神殿、神楽殿、石段、玉垣、手洗鉢等が明治7年完成、3年後の明治13年村社に列せられ春秋2期に大祭を施行、大正初年各社分離、折立、高瀬、森山は部落の社を氏神として、現在は草花、西ヶ谷戸の氏子を以て崇敬し、毎年春秋例大祭を執行している。
石の鳥居の先には急な石段があります。登り詰めた平坦地には拝殿が祀られていました。
古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。
黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。