国道246号線を挟んだ小山は丸山城址公園として整備されています。新編相模国風土記によると平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した糟屋左衛門尉有季の居跡との記述があります。昭和8年に刊行された延喜式内社高部屋神社小誌では千鳥ヶ城の名が出ています。糟屋氏は藤原氏の一族で、平安時代末に藤原如丘が相模守として東国に下向し、そのまま任地に土着したと言います。
昭和59年、60年に伊勢原市教育委員会が行った調査では堀、土塁、竪穴状遺構などの城郭遺構が確認され、鎌倉時代の遺物の他に室町時代後半のかわらけや陶器なども出土したことから、上杉定正に関連する城館(糟屋館など)とも推定されています。
広い主郭には西から北側にかけて帯曲輪が巡り北端や西に土塁が確認できます。現地の案内板によると下段部分には堀が確認され、東側の堀は底面に段差があり、仕切り状であることが確認されたと言います。