高部屋神社(八幡神社・糟屋八幡) 


 寺社の種類:式内社(小)、村社(旧社格)
 創建の時期:ー
 御祭神:三筒男命(住吉大神)、神倭伊波礼彦命、誉田別命、大鷦鷯命、息気長足姫命、磐之姫命
 本殿の形式:ー
 境内社:金刀比羅宮、八坂神社、稲荷社、水神社、庚申社、愛染明王
 所在地:神奈川県伊勢原市下糟屋2202
 訪問日:2024年3月3日

 

延喜式神名帳に相模13座の1社として記載されているので創建はそれ以前と考えられます。往昔は大住大明神と言い、糟屋の庄127ヶ村の惣鎮守であったと言われています。源頼朝の臣糟屋有季が社殿造営しました。至徳3年(1386年)平秀憲が寄進した銅鐘は神奈川県指定重要文化財に指定されています。

高部屋神社の石鳥居
鳥居わきに古い供養塔
境内の由緒書き
本殿、拝殿、幣殿の案内板
御手水場
金刀比羅宮
移設された庚申供養塔
大山道の道標の案内板
梵鐘の案内板
鐘楼
高部屋神社の拝殿
茅葺の拝殿
高部屋神社の神額
五間社の本殿
稲荷社と水神
境内に神楽殿
八坂神社

拝殿裏の本殿は五間社流造で神奈川県の五間社の本殿は鶴ケ岡八幡宮若宮本殿、箱根神社本殿、大磯の六所神社など名だたる神社にしかないとされていました。

大正12年(1923年)の関東大震災で本殿が倒壊しましたが、昭和4年(1929年)に柱・彫刻・正面扉等をそのまま使用し再建しました。

 住吉三神(すみよしさんじん)

神話に登場する神様、底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)の3神の総称です。海上交通安全の神様として崇拝されています。大坂の住江(住之江)の豪族の氏神だったとされています。

 

 八幡大神(やはたのかみ・はちまんおかみ)誉田別命、品陀別命(ほんだわけのみこと)

日本で信仰される神で、清和源氏、桓武平氏など全国の武家から弓矢八幡として崇敬を集めました。誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされます。

また早くから神仏習合がなり、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)として神宮寺が祀られました。

 

 八幡大神(やはたのかみ・はちまんおかみ)誉田別命、品陀別命(ほんだわけのみこと)

日本で信仰される神で、清和源氏、桓武平氏など全国の武家から弓矢八幡として崇敬を集めました。誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされます。

また早くから神仏習合がなり、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)として神宮寺が祀られました。

 

 応神天皇(おうじんてんのう)譽田別尊(ほんだわけのみこと)八幡大神(やはたおおかみ)

第15代天皇(在位:270年1月1日~310年2月15日 )仲哀天皇の第4皇子、母は神功皇后。神功皇后が新羅へ渡ったときに身篭っていたことから胎中天皇などと呼ばれています。記紀には渡来人を用いて国家を発展させ、中世以降は軍神八幡神としても信奉されでいます。

大和朝廷の勢力が飛躍的に発展した時期で一説に中国の歴史書に記述のある倭の五王の一人、讃とする説があります。陵墓は大阪府羽曳野市誉田6丁目の恵我藻伏崗陵。

6世紀前半に在位したとされる第26代継体天皇以前の天皇については、第21代雄略天皇を別として実在の可能性が薄いという見解があります。

 

 神仏習合(しんぶつしゅうごう)神仏混淆(しんぶつこんこう)

日本古来の神と外来宗教である仏教とを結びつけた信仰のこと。すでに奈良時代から寺院に神が祀られたり、神社に神宮寺が建てられたりした。平安時代頃からは本格的な本地垂迹(ほんじすいじやく)説が流行し、中世になって両部神道などが成立した。

 

 八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)

八幡神に対して奉られた菩薩号。奈良時代に始る神仏習合から起った称号

 

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