観音寺 


 寺社の種類:高野山真言宗の寺院
 山号:鶴間山、院号:東照院
 創建の時期:ー
 札所:武相卯歳観世音菩薩札所第1番、武相寅歳薬師第21番
 所在地:神奈川県大和市下鶴間2240
 訪問日:2024年1月23日

 

当初金亀坊と称していたと言います。頼満和尚(慶長13年1608年寂)が中興開山したとされますがそれ以前の開基、開山は不明です。

観音寺の山門
観音寺の大きな石柱と山門
大きな大慈大悲漢音
御手水場
観音寺の本堂
大きな本堂
太子堂
本堂脇に由緒書き
本堂に鶴間山の扁額
境内の仏足石

閑散とした山門を入ると大きな大慈大悲漢音、傍には平和記念碑があります。境内の奥には大きな本堂、その傍に大師堂がありました。

 

 《鶴間山観音寺縁起》現地の石碑

当山は高野山真言宗で、中興開山瀬満和尚は慶長十三年(一六〇八)に入寂、その昔は金亀坊といわれたが、開山・開基は不詳である。

市指定重要文化財の逗子は天文十三年(一五四四)造りで、室町時代の様式で伝える貴重なものであるが、創建を知る手掛かりになろのであろうか。

本尊の十一面観世音菩薩は寺伝によると、宝暦年間(一七五一~六三)住職宥仁和尚と同様、瀬谷村中屋敷高瀬是右衛門のも、この家に伝わる十一面観音が霊夢に立たれ、当山に奉安せよとのお告げがあった。深見村の小林九兵衛はこの勧請を扶け、又下鶴間村領主で旅本の荏原の協力も得て観音堂を新築し安置された。後大火により地域一帯が焼失したが、観音堂だけが難を免れた。村人はその奇端に驚き、以後この十二面観世音菩薩を本尊と仰ぎ、寺号を今の観音寺に改めたといわれる。しかし宝暦より前に観音寺の記述が古文書に見られる。古老の話では以前は、地蔵菩薩が本尊で真言院といわれたという。

建武五年と延文二年の板碑があるが、新編相模風土記稿に履歴を伝えずと記されている。

辨天堂には荏原公奉納の辨財天や十五童子などがまつられ、当時の堂宇も江原公や村内巳待訴中が施主であった。

宝暦九年(一七五九)武蔵・相模に武相観音札所が創建され、その第一香となり以来卯歳ぬは御開帳が一斉に厳修される。

 

 高野山真言宗(こうやさんしんごんしゅう)

真言宗の宗派である。総本山は金剛峯寺。高野宗・高野派とも呼ばれる。全国に約3700の末寺がある。

 十一面観音菩薩(じゅういちめんかんのんぼさつ)

六道を教化する六観音の一つ。11の顔と2臂または4臂をもった姿の観音。

 

 六観音(ろくかんのん)

六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。

 

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