浄真寺(九品仏) 


 寺社の種類:浄土宗のお寺
 山号:九品山、院号:唯在念佛院
 創建の時期: 延宝6年(1678年)、開基・珂碩上人
 本尊:釈迦如来
 札所:-
 所在地:東京都世田谷区奥沢7丁目41-3
 訪問日:2023年6月21日

 

かつて世田谷吉良氏の支城・奥沢城がありましたが小田征伐後に廃城となり延宝6年、珂碩が同地に浄真寺を開山しました。

浄真寺の入り口
浄真寺の入り口と参道
浄真寺の石柱
松林の参道
「禁銃猟」の古い石柱
参道の石仏と庚申塔
参道の石仏と庚申塔
参道の石仏と庚申塔
浄真寺の総門に扁額
総門に般舟場の扁額
境内にお地蔵さん
閻魔堂の前に三途の川
浄真寺の焔魔堂
大きな閻魔様
浄真寺の開山堂
開山堂
仁王門に紫雲楼の扁額
浄真寺の下品中生仏
下品堂の下品中生仏
下品上生仏
下品上生仏
浄真寺の上品堂
上品堂
本堂の阿弥陀如来
浄真寺の本堂
本堂(龍護殿)

浄真寺は九品仏を祀るお寺です。九品仏の名は同寺周辺の地名や駅名としても広く用いられています。

九品仏は観無量寿経に説く九品往生の思想に基づく極楽往生の9つの階層を表していると言います。

本堂の対面し上品堂、中本堂、下品堂の3つの阿弥陀堂があり、それぞれに3体ずつ合計9体の印相の異なる阿弥陀如来像が安置され極楽への往生を導いてくれると言います。

山門の脇には仁王堂があります。賽銭を入れると見上げる閻魔さまがが大きな声で人の生き方を話してくれました。

 

 《九品寺創建の由来》現地の案内板

当山はひろく「九品仏」の名で親しまれているが、正式には「九品山唯在念仏院淨真寺」といい、浄土宗に属し、境内約12万平方メートル(3万6千坪)は往古の面影を保存する都内有数の風致地区である。開山は江戸時代初期の高僧「珂碩上人」で、四代将軍徳川家綱公の治世延宝6年(1678)に、奥沢城跡であったこの地を賜り、浄土宗所依の経典である観無量寿経の説相によって堂塔を配置し、この寺を創建された。「江戸名所図絵」に描かれている堂塔の配置と現状とはほとんど変わりはないが、昭和40年に本堂・仁王門とも茅葺を銅板葺に改修した。

 

 《本堂》現地の案内板

本尊に珂碩上人御自作の釈迦牟尼如来(文化財)を安置し、当山第二世珂億上人代、元禄11年(1698年)三仏堂ともども上棟した。世に珂憶造りと称せられ、雄大壮重なる茎ぶきの大殿である。近時、往昔の面影そのままの銅板葺に大修築を完了した。

本堂はまた「龍護殿」ともいわれ、浄土(彼岸)を表象する三仏堂に対比し、西面して穢土(此岸)をあらわす。当山独特の行事である「来迎会」は、この本堂(此岸)と三仏堂中央の上品堂(彼岸)とのあいだに橋をかけ、阿弥陀仏と二十五菩薩が、来迎・往生・還来と3回橋を行道するものである。

 

 浄土宗(じょうどしゅう)

法然上人を宗祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の聖典とするが、観無量寿経を重視して専修念仏によって極楽浄土への往生を宗旨とする。総本山は京都の知恩院。

 

 釈迦(しゃか)釈迦如来(しゃかにょらい)

仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。

はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。

 

 法然(ほうねん)・円光大師・黒谷上人

鎌倉初期の僧。浄土宗の開祖。1147年比叡山で源光の門に入り天台を学んだ。1150年教学などに対する疑問を生じ西塔黒谷の叡空のもとに隠棲し、法然房源空と称した。

 

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