宮益御嶽神社 
寺社の種類:神社
創建の時期:元亀元年(1570年)
本殿の形式:-
境内社:不動堂
札所:-
所在地:東京都渋谷区渋谷1丁目12-2
訪問日:2023年6月4日
旧宮益町の鎮守社で宮益坂の地名由来となった神社です。
かつては吉野山の金峯神社分祭の社として日本式尊を奉祭することから武蔵御嶽神社と同じ御嶽山信仰の神社です。参道には狼の狛犬がありました。
ここは、明治三年四月十七日、明治大皇駒場野の練兵天覧御幸の際、御往復共、当御嶽神社拝殿を御座所に当て
られ、御小休所となった所てあります。
当日は、午前五時御乗馬にて、御出発され、外桜田より赤坂をお通りになり、吉井友謹邸にて御小休、更に御板興に御移乗になり、御乗馬にて駒場連兵場に向かわれました。
午前八時駒場野御着、午前九時烽火(花大)一発を合図に、練兵を御覧になり午後三時に終了致しました。午後四時、号砲一声還御となり、前軍より次第に列を進められ、御嶽神社、吉井邸にて各々御小体され、午後六時還幸になりました。
翌十八日、明は天皇の思召により、当神社に鳥居及び駒寄せの御奉?かありました。 昭和十四年二月、明治天皇聖跡記念碑を建立しました。
天皇陛下御在位六十年奉祝紀念
日本の古代史における伝承上の英雄。景行天皇の皇子です。気性が激しいため天皇に敬遠され、九州の熊襲(くまそ)や東国の蝦夷(えぞ)の討伐に遣わされたといわれています。風土記なども含めてさまざまな伝説が残っています。
出雲神話の神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子または孫です。少彦名神(すくなびこなのかみ)とともに、中つ国の経営を行っましたが、天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退しました。
大黒天と同一視されるようにもなりました。因幡(いなば)の白兎の神話は唱歌にも歌われています。
第12代天皇(在位:71年7月11日~130年11月7日 )垂仁天皇の第三皇子。都は大和の纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)。熊襲くまそを征討し、皇子の日本武尊(やまとたけるのみこと)を派遣して蝦夷を平定したという。陵墓は奈良県天理市渋谷町の山辺道上陵。
日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。
高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。
日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。