大岡越前守忠相が豊川稲荷から荼枳尼天を勧請し、屋敷稲荷として自邸で祀ったのが始まりとされています。文政11年(1828年)、妙厳寺が大岡邸の一部を借り受け、豊川稲荷の江戸参詣所を建立したのが東京別院の創建とされています。
狭い境内には本殿、奥ノ院を中心として招福利正大黒天、知徳地蔵尊、知徳地蔵尊などたくさんの社が建ち並んでいました。霊狐塚は信者が奉納した霊狐が並んでいるところです。赤白の奉納旗に取り囲まれたくさんの狐が祀られていました。
禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。
鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。