現地の案内板によると「江戸時代、徳川幕府は人々や物資の往来が盛んになるように街道の整備を行いました。東海道はその中でも主要な街道で、この箱根地域は道が大変険しく、当時の旅人が普通1日10里を旅するところ、箱根地域では8里しか歩けなかったようです。」
「道中には甘酒をふるまう茶屋が設けられるようになり、文政年間には箱根地域には9か所設けられていたようです。この地域には4軒あり、付近の追込坂上、樫木坂上、猿滑坂下にもありました。しかし、明治13年(1880年)国道1号線の開通などから街道を歩く人々が減少して、現在ではこの地に1軒が残るのみになっています。」と紹介されていました。
甘酒茶屋は近くの屏風山に登ってきたハイカーや石畳を歩いてきた観光客などで混雑していました。