上蒔田椋神社(むくじんじゃ) 


 寺社の種類: 式内社(小)、旧村社
 創建の時期:-
 御祭神:大己貴命猿田彦命
 本殿の形式:-
 境内社:-
 札所:-
 所在地:埼玉県秩父市蒔田2842
 訪問日:2023年4月28日

 

延喜式神名帳に記載されている式内社・椋神社の論社です。

上蒔田椋神社の二の鳥居
参道の先に二の鳥居
御手水場
社務所
上蒔田椋神社の拝殿
石段の上に拝殿
拝殿
拝殿の神額

椋神社に伝わる御田植神事は春の農作業に先がけ稲作の豊穣を願って行われます。境内にしめ縄を張りめぐらして御田代に見立て、鳥居の外にはわらで龍を形どった水口が設けられると言います。

 

 《上蒔田椋神社 御由緒》現地の案内板

秩父市蒔田(字宮平)二八四二

◇山間での田植行事を伝える社、祭神は大黒様

荒川支流の蒔田川に沿って、位置している蒔田には椋神社が二社鎮座する。当社は上蒔田の字宮ノ平に、もう一社は中蒔田の字宮原にあって、当社の御祭神大己貴命を勧請したものと伝えられる。

当社の創建については、社蔵の古文書である「椋神社縁起」に、

「日本武尊が東征に際して武蔵国に至った時、「ちちぶが嶽」の頂に登り国の繁栄を天神地祇に祈念したところ、どこからともなく老人が現れ、「穀種を戈どの先に取かけ是を北の方にむかひて投げ給ふべし」と告げ、去って行った。尊は老人の教えに従い、戈を投じたところその落ちた所に種が蒔き散り、穀物が豊かに実った。この老人は八千戈神すなわち大己貴命であった。これをもって尊はこの地を蒔田と名付け、また戈の落ちた所に椋の大樹があったことから、尊は神徳を崇め、椋の大神と名付けて、八千戈神の荒魂を奉斎し、東夷の平定を祈った。」とある。

以来、この故事に基づき、村人によって御田植神事が連綿と行われてきたが、永禄年間の「信玄焼き」によって灰燼と帰し、明治時代に拝殿も再建され、御田植神事も古例の通りに行われるようになった。 明治六年には延喜式内社を称することを許可され、同九年に蒔田村の村社となる。

当社の「御田植神事」は、埼玉県の無形民俗文化財に指定されている。

◇主祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)

◇例祭日 三月第一日曜日

 

 大国主命(おおくにぬしのみこと)大己貴命・大穴牟遅神(おおなむちのみこと)

出雲神話の神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子または孫です。少彦名神(すくなびこなのかみ)とともに、中つ国の経営を行っましたが、天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退しました。

大黒天と同一視されるようにもなりました。因幡(いなば)の白兎の神話は唱歌にも歌われています。

 

 猿田彦神(さるたひこのかみ)

日本神話に登場する神。天孫降臨に登場する神で、天照大神に遣わされた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を道案内した国津神です。伊勢国五十鈴川のほとりに鎮座したとされ、中世には庚申信仰や道祖神と結びつきました。

 

 素戔嗚尊・須佐之男命(すさのうのみこと)

日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。

高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。

 

 天照大神、天照大御神(あまてらすおおかみ)大日女尊(おおひるめのみこと)・大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ)

日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。

素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。

 

 邇邇芸命・瓊瓊杵尊・瓊々杵尊・彦火瓊瓊杵・火瓊瓊杵(にぎにぎのみこと)・天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)

日本神話に登場する神様。天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫。天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)の子。天照大神の命で葦原の中つ国を統治するため、高天原から高千穂峰に天降ったとされる。木花開耶姫(このはなのさくやびめ)を妻とし、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を生んだ。

 

 庚申信仰(こうしんしんこう)

十干十二支の一つ庚申の日の禁忌を中心とする信仰。中国では道教の説で庚申の夜睡眠中に体内の三尸虫(さんしちゅう)が逃げ出してその人の罪を天帝に告げると言い虫が逃げぬよう徹夜する風習があった。

 

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