泉岳寺は徳川家康が外桜田(桜田門周辺)の地に門庵宗関を招いて創建した寺院です。寛永の大火で焼失しましたが、徳川家光の命で、長府毛利、笠間浅野、鹿沼朽木、丹羽、水谷の5大名により、現在の高輪の地で再建されました。御手伝い普請の大名は菩提寺とする事で徳川への忠誠を示しました。
移転した当時の泉岳寺は学寮だけで9棟もあって200人の学僧が修行していたと言います。元禄14年(1701年)3月、松の廊下の刃傷により切腹した浅野長矩が、次いで元禄16年(1703年)2月、元禄赤穂事件で赤穂義士が葬られました。
禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。
仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。
はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。
鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。