江戸府内の曹洞宗の寺院を統括した江戸三箇寺の1つです。太田道灌が雲岡舜徳を招聘して創建。当初は武蔵国貝塚(現在の千代田区麹町周辺の古地名)にありましたが、徳川家康による江戸城拡張に際して現在地に移転しました。江戸時代には、曹洞宗江戸三ヶ寺(青松寺、泉岳寺、総泉寺)の一つとして触頭を勤めていました。
中雀門をくぐると本堂、右手には観音聖堂、左手には座禅堂があります。境内には後に吉祥寺の旃檀林に統合され駒澤大学へと発展解消した教育機関の一つである「獅子窟」があったとされ、幾多の人材を輩出したところとされています。
禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。
鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。