比企丘陵最北部の丘陵部・四津山に築かれた山城です。現地の案内板によると市野川筋には鎌倉街道上道が走り、戦国時代には鉢形城、松山城の間にあって交通路を抑える重要な役割を果たしたと言います。
城郭は細長い尾根を巧みに利用し、四津山神社が建つ本郭と北に連なる三つの主要な郭によって構成され、それぞれを土塁と堀切によって画されています。
長享2年(1488年)に山内・扇谷の対立により激戦が繰り広げられた高見原合戦は、この麓の高見・今市付近で行われました。
天正10年(1590年)豊臣秀吉による関東平定の際に鉢形城主北条氏邦の家人が籠もったものの、戦わずして鉢形城へ逃げたと言います。