小田原市城山にある神社です。大久保忠世を祭神として小田原城天守台跡に創建しました。明治28年には県社に列格したと言います。
小田原城天守台跡が御用邸となったため、明治33年に当地に遷宮しました
大久保忠世は徳川家康の家臣、長篠の戦で活躍し遠州二俣城主になりました。豊臣秀吉の小田原攻めにも参戦し、戦後は小田原城主になったと言います。天下のご意見番としても知られているのが大久保彦左衛門忠教は忠世の異母兄弟と言います。
2代忠隣の時代に大久保家は改易になります。その後、5代忠朝のとき11万3千石で小田原藩主に返り咲きました。11代忠真は大阪城代、京都所司代、老中など幕府要職を歴任し、藩政においては二宮尊徳を始め多くの人材を登用し忠臣孝子を顕彰するなど、大久保家中興の名君として知られています。