三代執権北条泰時の子泰次によって開かれた鎌倉で唯一の浄土真宗の寺です。
泰次は天台宗の僧として裏山の亀の窟(かめのいわや)で修行していましたが、親鸞の教えを受け成仏の名をもらい、天台宗から浄土真宗に改宗しました。
境内には親鸞聖人の像が祀られていました。
日本仏教の一宗派。浄土真宗の宗派の1つで本願寺(西本願寺)を本山とする。浄土真宗は第12世准如の時、長兄教如が徳川家康の援助で東本願寺を建てたため本願寺は東西両本願寺に分かれた。1981年6月、東本願寺派を真宗大谷派、西本願寺派を真宗本願寺派と改めた。
大乗仏教の仏。西方の極楽浄土の教主で生あるものすべてをすくう仏様。念仏により浄土に往生できるという阿弥陀信仰が鎌倉時代にさかんになり、浄土宗、浄土真宗、時宗などの浄土教宗派が成立した。
阿弥陀如来像は質素な形で如来の通相と呼ばれる姿をしています。小指を除く三指と親指で輪にした九品来迎印(くぼんらいごういん)を結んでいるのが特徴です。
1183~1242年、鎌倉幕府第3代執権。1221年承久の乱には幕府軍の大将として上京、引き続き六波羅探題として戦後の処理に当たった。1224年執権。連署・評定衆を置いて合議制を制度化し、1232年御成敗式目を制定して武家政権を確立した。
法然上人の弟子の親鸞上人を開祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の経典とするが、特に無量寿経により阿弥陀仏の本願の信心を重視し、称名念仏は仏恩報謝の行であるとするのを宗旨とする。門徒宗、一向宗とも呼ばれます。
1221年(承久3)後鳥羽上皇らが鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、執権北条義時を中心とする幕府軍に鎮圧された事件。後鳥羽・土御門・順徳の三上皇は配流され、新補地頭の設置、六波羅探題の設置など幕府の権力は西国でも強化された。
承久の乱後、京都の政情を監察しかつ治安を維持するために設置した、政務・軍事を統轄する執政官。南北二名を定員とし西国諸国の訴訟を聴断するとともに、有事の際は在京人をはじめとする京都近国の御家人を指揮する権限が与えられていた。