大慶寺 


 寺社の種類:臨済宗円覚寺派の寺院
 山号:霊照山
 創建の時期:弘安年間(1278年~1287年)、開山・大休正念、開基・長井光禄大夫
 本尊:釈迦如来
 所在地:神奈川県鎌倉市寺分1-5-8
 訪問日:2022年3月27日

 

東光寺の隣にある臨済宗円覚寺派の寺院です。関東十刹に列せられ、鎌倉幕府・室町幕府による禅宗保護の政策により発展し、深沢周辺に広大な寺域をもっていました。寺分という地名は大慶寺の寺域に由来しています。

開山大休正念の石柱
大慶寺の山門
石段の上に本堂
茅葺の山門
関東十刹大慶寺の石柱

北条早雲上杉謙信の鎌倉侵攻などにより荒廃し江戸時代後期には廃絶したと伝えられています。現在の大慶寺は昭和19年(1943年)塔頭であっ法外庵を改称したものと言います。

 

 臨済宗円覚寺派(りんざいしゅうえんかくじは)

禅宗の宗派の一つ。中国から招かれた無学祖元により1282年鎌倉で始まる。本山は鎌倉の円覚寺。

 

 釈迦(しゃか)釈迦如来(しゃかにょらい)

仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。

はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。

 

 北条早雲(ほうじょうそううん)

1432~1519年、室町後期の武将。後北条氏の祖。初め伊勢新九郎長氏と称し出家して早雲庵宗瑞と号す。駿河の今川氏を頼って次第に頭角を現した。のち堀越公方の足利茶々丸を倒して伊豆韮山にらやまに進出した。小田原を本拠として南関東制覇の基礎を築いた。

 

 上杉謙信(うえすぎけんしん)長尾景虎(ながおかげとら)

1530~1578年、戦国時代の武将。越後守護代長尾為景の子。景虎、政虎、輝虎と改名する。越後春日山城にあって北陸地方一帯を領有、小田原北条氏、甲斐武田氏と対抗した。特に武田信玄との川中島の戦いは有名。

 

 後北条氏(ごほうじょう)

伊勢宗瑞(北条早雲)を始祖とし、氏綱、氏康、氏政、氏直と5代にわたり相模の小田原城を本拠として関東に雄飛した戦国大名。北条早雲は1476年(文明8年)に今川家内紛の調停役として歴史の舞台に登場した。

やがて駿河の興国寺城主となり、1491年(延徳3)には足利茶々丸を討って伊豆を平定し韮山城に移る。1495年(明応4)小田原城に大森藤頼を攻めてこれを奪い関東進出の第一歩をしるした。

 

 堀越公方(ほりごえくぼう)

古河公方に対抗するため上杉氏は幕府に新たな鎌倉公方の下向を求めました。幕府は将軍義政の弟足利政知(あしかがまさとも)を東下させましたが、鎌倉に入ることができず伊豆の堀越に御所を構えました。

延徳3年(1491年)あとを継いだ子の茶々丸が北条早雲に攻められ滅亡。

 

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