正福寺 


 寺社の種類:臨済宗建長寺派
 山号:金剛山
 創建の時期:鎌倉時代中期、弘安元年(1278年)、開山:石渓心月、開基:北条時頼または北条時宗
 本尊:千手千眼観音
 札所:狭山三十三観音霊場第13番札所
 所在地:東京都東村山市野口町4丁目6-1
 訪問日:2022年3月6日

 

鎌倉時代中期に鎌倉の建長寺僧石渓心月の開山により創建されたと伝えられる古刹です。

正福寺の山門
正福寺の山門
地蔵堂
境内の十三仏
境内の観音菩薩
本堂
本堂の扁額
鐘楼

応永14年(1407年)建立とされる地蔵堂は北条時宗が建立したと言われ、国宝に指定されているほか、仏殿(地蔵堂)本尊、千体地蔵尊など数多くの文化財を所蔵しています。

 

 臨済宗建長寺派(りんざいしゅうけんちょうじは)

日本仏教の一宗派。臨済宗一四派の一つです。本山は京都の妙心寺、派祖は関山慧玄。

 

 北条時宗(ほうじょうときむね)

1251~1284年、鎌倉幕府八代執権。時頼の子。文永・弘安の両度の元寇に際し強硬に幕政を指導してこれを退けた。また禅宗に帰依して宋から無学祖元を招き円覚寺の開山とした。

 

 元寇(げんこう)

鎌倉時代、中国を支配していたモンゴル軍による日本侵攻。文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)の2回があり、いずれも北部九州が戦場となった。弘安の役では約4400隻の元寇船が襲来し鷹島沖に集結したが停泊中に暴風雨に遭遇して多くが沈没したとされる。元軍を撃退したこの暴風雨は神風と呼ばれた。

鎌倉幕府は第8代執権北条時宗。文永の役後、博多湾沿岸の防備体制の強化、鎮西奉行の設置などを行なったため九州御家人には多大の軍事的、経済的負担を負わせ武士社会に深刻な状況を招いた。

 

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