現地の案内板によると文化2年(1805年)狭山三十三観音巡礼記によると当時は六観音が祀られていたと言います。
六斎は毎月8日、14日、15日、23日、29日、30日は斎戒謹慎し善心を起こすべき日とする民衆教化の宗教行事でした。六斎を守り本尊として六観音が祀られていたと推測されます。昭和17年金乗院に所属となり、昭和50年大檀信徒により今のお堂が再建されたとされています。
六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。