柏尾川合流点11:40~集いのまほろば12:25/30~セブンイレブン横浜泉新橋町店12:40/45~憩いのまほろば12:55/13:05~長屋門公園入口14:00~三ツ境商店街(鎌取池あと推定地)14:30
柏尾川の支流の一つ阿久和川の水源をたどる川歩きです。
阿久和の地名はの由来は新羅の古語で水を意味するアカにちなむと言い、またアクワは川の流れの曲がった様を意味すると言います。
古くは鎌倉郡阿久和郷と呼ばれていました。天正18年(1590年)に徳川氏の所領となり旗本安藤治右衛門領となりました。安藤氏は三河国の出身ですが、安藤治右衛門は阿久和安藤氏の祖となりました。
阿久和川は柏尾町で柏尾川と合流し、藤沢で境川と合流し相模湾に注ぐ2級河川です。マンションなどが立ち並ぶ市街地の中を流れる都市河川でコンクリートの護岸には鉄柵が張られた遊歩道が続いています。
横浜新道の上矢部インターの下をくぐると支流の一つ名瀬川が合流します。この時期は見られないものの、川の中には子供たちが水遊びを楽しむ親水広場があります。
川沿いには思い々に散策を楽しむ人、トレランの若者など何時も多くの人が行き交う散策路が続いています。
三嶋神社前の新鷹匠町橋のを超えると瀬谷柏尾道路を離れた川は住宅地の歩道沿に続いていました。川の中には集いのまほろばと呼ばれる親水広場があります。
まほろばとは、素晴らしい場所、住みやすい場所という意味の古語で古事記には「倭(やまと)は 国の真秀ろば(まほろば)畳なづく(たたなづく) 青垣 山隠(やまこも)れる 倭しうるはし」と記述されています。阿久和川沿いには、古えのまほろば、集いのまほろば、出会いのまほろば、憩いのまほろばなどの広場が整備されていると言います。
新橋の交差点を超えると川沿いに中丸家の屋敷門があります。かつてこの周辺は養蚕が盛んでしたが、世界恐慌や化学繊維の開発により絹産業が衰退していく中、中丸家は百合の栽培と輸出により財を失うこともなく屋敷を維持したと案内板に紹介されていました。
憩いのまほろば広場を超えると阿久和川は瀬谷柏尾道路の西側の住宅地の中を流れるようになります。途中、護岸工事が行われているようで重機が川の中に入って作業をしていました。
慶林上橋を超えると川沿いの歩道はやぶの中に消えてしまいす。ここからはしばらく車の流れも多い瀬谷柏尾道路を歩くことになります。
途中、道を左に折れ阿久和川の流れを確認できましたが川沿い歩ける道は付けられていません。
宮の越から住宅地の中に続く舗装道路、この下には阿久和川の暗渠が通っているようです。住宅地としては幅の広い歩道がある道はかつての流れの跡なのでしょう。
長屋門入り口の交差点近くでは暗渠の開口部がありました。
瀬谷柏尾道路を越え道を左に、三ツ境大原公園近くの住宅地の側に梯子状の開渠が流れています。川の側に歩道がありましたが途中で途切れているようです。仕方なく三ツ境駅へと続く舗装道路を歩くことにしました。
やがて三ツ境の商店街です。急な坂道を登る付近が阿久和川の源流、釜取池があったとされるところです。かつてあった池は灌漑用のため池、瀬谷の民話が残されているところです。
「池には三十メートルもある大蛇の主がいたそうな。ある日、住民が草刈に行くと、離れた松の木のもとに美しい乙女がいた。見惚れていると、乙女は池の彼方に消えたが、住民が我に返ると手に持っていた鎌がなくなっており、池のどこかで何かが水を呑む音が大きく響いた」と戸塚の郷土誌に書かれていたと言います
商店街の街並みには長屋門公園のデザインが、公園の中には阿久和川源流の一つと言うせせらぎの水辺があります。機会があれば訪れてみたいものでした。