専念寺 


 寺社の種類:浄土宗の寺院
 山号:深谷山、院号:青楊院
 創建の時期:康平五年(1062年)、鎮連社感誉存貞上人(開山)
 本尊:薬師瑠璃光如来像
 札所:-
 所在地:神奈川県横浜市戸塚区深谷町1021
 訪問日:2022年2月5日

 

専念寺は後三年の役(1083~1089年)で活躍した鎌倉権五郎景正が、守り本尊薬師如来像を安置し創建、文治年間(1185-1189年)に景正の末裔にあたる梶原平三景時が再建して福泉寺と号したといいます。

本尊の薬師如来像は、眼を負傷した鎌倉権五郎景正が寺の前の清流で目を洗ったところ傷が癒えたと伝えられることから深谷目薬師と呼ばれています。

専念寺の山門
専念寺の石段と山門
薬師如来の石柱
専念寺の本堂
本堂
境内に十三重石塔
法然上人堂

宇田川から石段を上がると薬師如来の石柱がありました。大きな墓地を持つ地元の檀家寺と言った雰囲気のお寺でした。

 

 《鎌倉権五郎景正と 専念寺の深谷目薬師》現地の案内板

前九年の役の鎮定功労者陸奥守源頼義の嫡男八幡太郎義家は陸奥守となり赴任したが、奥州の覇者清原武則家の家督争いにまきこまれ、まれに見る大乱となった、戦場は沼柵からさらに要害の地金沢柵に移るが義家軍の苦戦の報が都に届くと義家の弟新羅三郎義光(甲斐源氏武田祖)が京から来援 これに力を得た義家が総攻撃し非常な苦戦の末、寛治元年十一月(一〇八七)、金沢柵を陥落させ、家衡と武衡を討つことに成功し、後三年の役はようやく終幕となった。

この戦いに弱冠十六歳の鎌倉権五郎は金沢柵の戦いで敵の矢に左目を射抜かれると戦友三浦為次が駆け寄り、景正の顔に足を掛け、その矢を抜こうとするや景正は「武士の顔に足を掛けるとは」と怒り刀を抜いて切りかかったと言う。

凱旋後景正は守り本尊の深谷薬師に治療の願をかけ、寺の前の清流で目を洗ったところ、たちまちにして目の傷が癒えたと言われる。

深谷薬師は霊験あらたかな目薬師如来として信仰厚く、今も十二年毎に開扉している。鎌倉時代に活躍した大庭、俣野、梶原一族も戦国大名上杉謙信も鎌倉植五郎景正の子孫である。

平成十五年三月吉日 大正地区歴史散歩の会

 

 

 浄土宗(じょうどしゅう)

法然上人を宗祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の聖典とするが、観無量寿経を重視して専修念仏によって極楽浄土への往生を宗旨とする。総本山は京都の知恩院。

 

 法然(ほうねん)・円光大師・黒谷上人

鎌倉初期の僧。浄土宗の開祖。1147年比叡山で源光の門に入り天台を学んだ。1150年教学などに対する疑問を生じ西塔黒谷の叡空のもとに隠棲し、法然房源空と称した。

 

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