金時神社 


 寺社の種類:神社
 創建の時期:-
 御祭神:坂田金時
 本殿の形式:-
 所在地:静岡県駿東郡小山町中島
 訪問日:2021年5月31日

 

坂田金時の生家跡とされる金時公園に祀られた神社です。

坂田金時は源頼光の四天王の一人として知られて、まさかりを担いだ姿やクマと相撲取ったりする姿が童話などに描かれています。

金時公園に金太郎
金時公園の案内板
金太郎の大まさかり
金時神社の拝殿
金時神社の社殿
金時神社の神額
金時屋敷の案内板

源頼光の四天王は渡辺綱、卜部季武、碓井貞光と坂田金時ですが、金時についての出自は明確ではないようです。源頼光が足柄峠にさしかかったとき出会いその力量が認められ家来になったと伝えられています。

ちょろり七滝の案内板
金時神社のちょろり七滝
ちょろり七滝
第六天社
ちょろり七滝
金時神社の庭園

金時公園には金太郎の産湯に汲んだというチョロリ七滝や、金太郎が登って遊んだといわれる金時杉、金太郎母子が深く信仰したという第六天神社などがあます。

 

 《金時神社の由緒》小山町の案内板

祭神は坂田金時、神域は小山町中島、金太郎が呱々の声をあげた山崎家を含む坂田三軒のあった「金時屋敷」の跡で、その屋敷裏にあった金時産湯の水「ちょろりと七滝」は今尚その清流に古き昔を偲ばせる水音を響かせ古風の生家は境を接して現存している。

幼名金太郎「金」の字も鮮かな腹掛けをして猿や熊と力を競い、猪の鼻嶽(今の金時山)の頂上でよく遊んだ。 この山々と恵まれた環境の中で、力逞しく心凛々しい怪童に育てられた。

金太郎は後見出されて源賴光の臣となり坂田金時と名を改め、賴光四天王の一人として丹波の国大江山の強賊酒天童子を破った勇名は、永く語り伝えられている。

昭和九年町有志の意により旧来の小祠に社殿を造営し境内を拡張し神域を整え、子ども達の守り神として長く郷土の誇りたらしめた。

小山町

 

 《金太郎伝》現地の案内板

一、天暦十年(九五八)五月誕生

中島(現・小山町中島)の彫物師十兵衛の娘、八重桐は京にのぼり、大宮人坂田蔵人と結ばれ懐任したので故郷に帰り金太郎を生んだが、まもなく蔵人が亡くなったので京へ帰らず中島で金太郎を育てた。

大きくなってからは金太郎は母に孝養をつくし、足柄山で熊と相撲をとったり、大鯉をつかまえたりして、智仁勇をそなえた立派な子供として成長していった。

一、天延四年(九七六)三月二十日 源頼光と対面

源頼光は上總守護の任期が終って、足柄峠にさしかかったとき、怪童金太郎と出会いその力量を見ぬいて主従の縁とむすぶと共に坂田公時と命名し京にのぼって頼光四天王の一人となった。

源朝臣頼光四天王 渡辺舎人綱・坂田靭負公時・碓井荒三郎貞光・卜部六郎季武 (前太平記)

一、正暦元年(九九〇)三月二十六日 大江山酒呑童子退治

丹波の国大江山(現在・京都府大江町)に酒呑童子が住み、都に出てきては悪いこととしたので、勅命により頼光を大将に藤原保昌を案内として、四天王六人が山伏姿に身をかえて、神変奇特酒(眠り薬入り酒)をもって酒呑童子を退治した。(御伽草子)

一、寛弘七年(一〇二)十二月十五日没

九州の賊を征伐のために築柴(現在・北九州市)にむかう途中、作州路美作勝田荘(現在・岡山県勝央町)に於いて重い熱病にかゝり五十五歳で亡くなった。

勝田の人々は公時の武勇を慕い、倶利加羅(剛勇の意)神社を建てゝ葬った。現在は、栗柄神社と称する。(作陽誌)

一、昭和九年金時神社建立

子供の頃は気はやさしくて力持ち、大きくなっての武勇をたゝえて生地跡(坂田屋敷と呼ばれていた)に建てたもので、安産、子育ての神様として有名である。

例祭五月三日、四日

小山町観光協会・金時神社奉賛会

 

 訪問者数 今月:7件
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