日本寺は鋸山に祀られた曹洞宗の寺院で、日本一の大仏の寺としても知られています。
寺伝によれば聖武天皇の勅願により、行基が神亀2年(725年)に開山されたとされています。そののち隆盛と衰退を繰り返しましたが徳川三代将軍家光の時代に曹洞宗に改宗しました。
日本一と言われる大仏は薬師瑠璃光如来、天明3年(1783年)に大野甚五郎英令が門弟27名とともに岩を彫刻して建立したものと言います。建立当時の高さは9丈2尺(約37.7m)でした。
長年の雨風により侵食により江戸時代末期には崩壊状態になっていました。昭和41年(1966年)から仏師・八柳恭次を中心に修復が行なわれ、昭和44年(1969年)に完成しました。現在の高さは原型より約7m低い31.0mと言います。
境内には千五百羅漢があります。江戸時代後期に高雅愚伝が発願したもので、上総国望陀郡桜井村の石工・大野甚五郎英令が門弟27人と共に安永8年(1779年)より寛政10年(1798年)までの前後約21年の歳月をかけて彫ったものです。
禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。
東方浄瑠璃世界の教主。人々の病患を救うとともに悟りに導くことを誓った仏で医薬の仏として信仰される。右手に施無畏印(せむいいん)を結び、左手に薬壺(やっこ)を持つ。脇侍に日光菩薩と月光菩薩、眷属として十二神将が配される。
鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。