日本寺 
寺社の種類:曹洞宗のお寺
山号:乾坤山
創建の時期:伝・神亀2年(725年)、開基:伝・行基
本尊:薬師瑠璃光如来
札所:東国花の寺百ヶ寺千葉15番、安房国札三十四観音霊場8番
所在地:千葉県安房郡鋸南町元名184
訪問日:2020年11月10日
日本寺は鋸山に祀られた曹洞宗の寺院で、日本一の大仏の寺としても知られています。
日本一と言われる大仏は薬師瑠璃光如来、天明3年(1783年)に大野甚五郎英令が門弟27名とともに岩を彫刻して建立したものと言います。建立当時の高さは9丈2尺(約37.7m)でした。
長年の雨風により侵食により江戸時代末期には崩壊状態になっていました。昭和41年(1966年)から仏師・八柳恭次を中心に修復が行なわれ、昭和44年(1969年)に完成しました。現在の高さは原型より約7m低い31.0mと言います。
境内には千五百羅漢があります。江戸時代後期に高雅愚伝が発願したもので、上総国望陀郡桜井村の石工・大野甚五郎英令が門弟27人と共に安永8年(1779年)より寛政10年(1798年)までの前後約21年の歳月をかけて彫ったものです。
鋸山日本寺は、正しくは乾坤山日本寺と称し約千三百年前の神亀元年(七二四)六月聖武天皇の勅詔と光明皇后の令旨を受け日本国の平和と繁栄を祈る寺として高僧行基菩薩が開創された関東最古の勅願所であります。
(初め法相宗に属し次いで天台、真言宗を経て徳川三代将軍家光公治世の時、曹洞禅宗となって今日に及ぶ)
然るに昭和十四年十一月、登山者の失火によって惜しくも堂宇悉くと、貴重な国宝、仏像等の総てを烏有に帰し、更に日華事変に続く大戦の勃発は当山を要塞と化しここに復興の気運を遅らせ、今も焼残の野に空しく鳥虫を嘆かしめる惨状にあります。
方今人心の混迷、風教の類廃は誠に憂慮すべきものあり、この秋に当たって由緒正しき仏閣を復興し広く心ある者の修道を資り多く人心の帰するところを求むることは、極めて緊要事であると申せましょう。 茲に、御来山各位の絶大を御理解を得て当山復興の大業成就いたしたく偏に御協讚御支援をお願い申し上げる。
平成五年六月八日 乾坤山日本寺 住職藤井元超護白
関連記録・コース禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。
東方浄瑠璃世界の教主。人々の病患を救うとともに悟りに導くことを誓った仏で医薬の仏として信仰される。右手に施無畏印(せむいいん)を結び、左手に薬壺(やっこ)を持つ。脇侍に日光菩薩と月光菩薩、眷属として十二神将が配される。
鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。