発寒神社 
発寒の市内に祀られた神社です。
江戸時代、幕命により蝦夷地開拓のため入植した山岡精次郎らが稲荷社を創建したことが始まり、明治時代には屯田兵が入植しその後伊勢神宮の分霊を勧請し発寒神社になったと言います。
発寒神社は花手詣での神社です。手水舎を色とりどりの花々が埋め尽くす花手水(はなちょうず)は京都楊谷寺(柳谷観音)が始まりと言います。札幌では札幌諏訪神社、新琴似神社、発寒神社、手稲神社、月寒神社、豊平神社、厚別神社、錦山天満宮、廣島神社で行われているようです。
拝殿の脇には環状石垣跡や馬頭の記念碑があります。環状石垣跡は10世紀前後のものとされ、その場所に後代の墓が重複した二重墳墓となっていると言います。また馬頭大神の墓碑の脇にたくさんの馬頭大神の石碑が祀られていました。
祭神 豊受大神
由緒
安政三年 蝦夷地開発の幕命を帯て山岡精次郎主計守以下十七名この地に移住し即ち稲荷社を創建して祭祀を篤くし北辺開明の基をひらかる 明治八年北海道屯田兵の第一陣とじて三十三戸この地に入殖せらるるや社運愈々興り 明治三十一年 国家の宗祀と崇める伊勢大神宮より豊受大神の別霊を拝賜 明治三十六年社号を発寒神社と改称せらる
雨来神威弥々揚り氏子の心田開明衆の和合と五穀の豊穣 商工業の守護神と仰がれ 近時氏子の繁栄と共に神運又顕然に讃えらる
例祭九月十五日
氏子崇敬者 発寒一圓他崇敬者
(昭和五十五年五月吉日建設)
古事記、日本書記に登場する神です。須佐之男命と神大市比売の子です。農耕の神、商工業の神、商売繁盛の神としても信仰されていて全国の稲荷神社で祀られています。
日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。
日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。
高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。