西野神社 


 寺社の種類:村社
 創建の時期:明治2年(1869年)
 本殿の形式:神明造
 所在地:北海道札幌市西区平和1条3丁目1-1
 訪問日:2020年10月21日

 

西野神社は札幌の西野に祀られた神社です。近年は縁結びや安産の神社として広く知られるようになり、縁結びや良縁を願う若い女性の参拝者が増えていると言います。

西野神社の鳥居
参道に由緒書き
参道の奥に拝殿
御手水場
拝殿の神額
精細な透かし彫り

訪問にした日は七五三の日、七五三の幟がはためく参道には着飾った子供を連れた家族連れが記念撮影をしていました。

精細な透かし彫り
拝殿の内部
創祀120周年記念碑
境内に神輿蔵
儀式殿では結婚式などが

 

 日本大国魂神・倭大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ)

日本書紀の崇神天皇6年の条に登場する神様。この神の出自は明らかでないが大国主神と同神とする説、大和国の地主神とする説がある。

 

 大国主命(おおくにぬしのみこと)大己貴命・大穴牟遅神(おおなむちのみこと)

出雲神話の神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子または孫です。少彦名神(すくなびこなのかみ)とともに、中つ国の経営を行っましたが、天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退しました。

大黒天と同一視されるようにもなりました。因幡(いなば)の白兎の神話は唱歌にも歌われています。

 

 少彦名命(すくなびこなのみこと)

古事記では神産巣日(かんむすひ)神の、日本書紀では高皇産霊(たかみむすひ)尊の子です。大国主神の国土経営に協力したが伯耆国淡島で粟茎(あわがら)に弾かれて常世(とこよ)国に行ったとされています。

 

 明治天皇(めいじてんのう)

第122天皇(在位:1867年1月9日~1868年9月8日)孝明天皇の第2皇子。1867年(慶応3)践祚し王政復古の大号令を発す。廃藩置県後は明治新政府の中央集権化政策の最高の権力者とされ近代天皇制が確立。京都府京都市伏見区桃山町古城山の伏見桃山陵。

 

 大国主命(おおくにぬしのみこと)大己貴命・大穴牟遅神(おおなむちのみこと)

出雲神話の神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子または孫です。少彦名神(すくなびこなのかみ)とともに、中つ国の経営を行っましたが、天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退しました。

大黒天と同一視されるようにもなりました。因幡(いなば)の白兎の神話は唱歌にも歌われています。

 

 素戔嗚尊・須佐之男命(すさのうのみこと)

日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。

高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。

 

 天照大神、天照大御神(あまてらすおおかみ)大日女尊(おおひるめのみこと)・大日霊貴神(おおひるめのむちのかみ)

日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。

素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。

 

 大国主命(おおくにぬしのみこと)大己貴命・大穴牟遅神(おおなむちのみこと)

出雲神話の神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子または孫です。少彦名神(すくなびこなのかみ)とともに、中つ国の経営を行っましたが、天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退しました。

大黒天と同一視されるようにもなりました。因幡(いなば)の白兎の神話は唱歌にも歌われています。

 

 

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