三崎城 
城郭の構造:平山城
築城の時期:-
廃城の時期:-
主な城主:三浦氏
所在地:神奈川県三浦市城山町6ー1
訪問日:2020年8月24日
三浦氏が新井城で滅亡すると、北条早雲は水軍の拠点として三崎城を整備し対岸の里見氏に備えました。北条氏政の時代には伊豆韮山城主であった北条氏規が三崎城主も兼ねていました。
三崎城は旧三崎中学校付近に築かれていました。近くには案内板が設置されているものの周辺は開発が進み遺構などはありません。
このあたり一帯は城山といい、古城の跡である。三崎城は海にのぞみ丘陵に地の利を得、土塁、空堀をいく重にも組み合わせた中世の山城で、築城の年月は不詳であるが永正十五年(一五一八年)七月十一日北条早雲に敗れた三浦義同が新井城(油壺)に亡ぶとき、三崎城もまた落城した。その際囲みを破った城兵は城ヶ島に逃れなお抵抗をつづけたという。
その頃、三浦氏は戦国の風雲に乗じ相模一円に領域を拡げていったが、三崎城は三浦一族累代の居城新井城の背後をまもる重要な支城であるとともに水軍の根拠地でもあったといわれている。
落城の後、北条氏はこの城に五代にわたり兵を置いたことからいまに北条山の地名が残っている。しかし天正十八年(一五九〇年)豊臣秀吉に攻められ小田原北条氏の滅亡にともない三崎城は廃城となった。
三浦市