聖神社(ひじりじんじゃ) 
寺社の種類:旧村社
創建の時期:和銅元年(708年)
本殿の形式:一間社流造銅板葺
所在地:埼玉県秩父市黒谷字菅仁田2191
訪問日:2020年2月15日
元明天皇の慶雲5年(708年)秩父で産出した和銅(自然銅)が朝廷に献上されました。天皇はこれを喜び慶雲を和銅に改元、我が国初の流通貨幣である和同開珎が鋳造されました。
朝廷は勅使を使わし祝山(はうりやま)に神籬を建て、自然銅を御神体として金山彦命を祀りました。社伝によると聖神社の創建は和銅元年2月、祝祭が終わったのち祝山から現在の地に移されたと言います。産出された和銅石と朝廷から下賜された蜈蚣(百足)が御神体として祀られています。
和銅開珎ゆかりの神社であることから銭神様とよばれ、金運上昇や宝くじ祈願、ビジネス開運のご利益があるとされています。
高麗神社、宝登山神社、秩父神社、今宮神社とともに秩父五社に一つに数えられツアーなどたくさんの参拝者が訪れるところです。
聖神社
御祭神
全山彦命(カナヤマヒコノミコト・和元年一月十一日)
国常立命(タニノトコタチノミコト・和元年二月十三日)
大日孁貴命(オオヒルメムチノミコト・和銅元年二月十三日)(天照大神)
神日本盤余彦令(カムヤマトイワレヒコノミコト・和元年二月十三日)(神武天皇)
元明金命(ゲンミョウコガネノミコト・養老六年十一月十三日)(元明天皇)
御由緒
和銅の発見献上を喜ばれた朝廷は、祝山にお宮を建て金山彦命を祀り祝典をあげました。
聖神社の社記によれば創建は和同元年二月十三日で、和銅奉献の祝祭が終わって一か月後には、祝山から簑山を背にした現在へ移され前記の神々をご祭神として祀りました。
社殿は以来、四回の建替えを経て現在に至っています。そして昭和三十九年四月十三日秩父市中町今宮神社の本殿拝殿を聖神社として移築されたことに伴い、新社殿脇に旧本殿を移し大国主命を祀る和鋼出雲神社として奉斎されることになりました。
一間社流れ造りの本殿と入母屋造りの礼拝殿からなる現聖神社々殿は、江戸中期宝永六、七年にかけて大宮郷の工匠大曾根与兵衛の建立になり、彫刻は桃山期の遺風をわずかに残し活気に満ちたもので「聖神社の社殿」として秩父市指定有形文化財になっています。
祭行事は年八回です。一月一日の元旦祭、二月三日節分祭、二月二十三日の祈年祭、四月十三日例大祭、七月十三日禦ぎの行事、十一月三日の和銅出雲神社大阪、十二月十三日の献穀祭、十二月三十一日の大祓式で、元々は十三日に絡む日にすべての祭事が行なわれていました。
黒谷の獅子舞
黒谷の御子舞は左甚五郎が黒谷の地に立ち寄り、竜頭を刻んで聖大明神に(聖神社)に奉納したことに始まると言われています。 宝暦五年(一七五五)三河国(現在の愛知県)岡崎から師匠を招き十五種(獅子舞でいう十五庭)の舞を伝授され、岡崎下妻流を名乗っていたと言われています。
文政初年の頃、秩父地方に日照りが続き、いろいろと雨乞いの手を尽くしたが効果がなく、秩父代官の御陣屋から黒谷獅子舞連中に妙見様(現秩父神社)に来て雨乞いの簓をするようお達しがありました。さっそく、竜頭を先頭にし瓢箪廻しの簓を舞ったところ、雲一つない青空から、大雨が滝のように降り出したと言われ、それ以来の獅子舞は「雨乞いの簓」と呼ばれるようになりました。現在、秩父市無形民俗文化財に指定されています。
平成二十年一月十一日 聖神社
日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。
古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。
黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。
日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。
高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。
日本神話に登場する神様。天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫。天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)の子。天照大神の命で葦原の中つ国を統治するため、高天原から高千穂峰に天降ったとされる。木花開耶姫(このはなのさくやびめ)を妻とし、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を生んだ。