西暦708年、この地で採掘された和銅(自然銅)が朝廷に献上されました。自然銅の発見は、当時の日本にとって大きな喜びで、元号が慶雲から和銅に変わったことからもうかがい知ることができます。
和銅の献上をきっかけに、皇朝十二銭の最初である和同開珎(わどうかいちん)が発行されました。唐の開元通宝をお手本にして作られたと言われています。
和銅山に残る百メ―トルを超す二条の断層面は和銅の露天掘りの跡と言います。地質学上は出牛-黒谷断層と呼ばれる断層面の一部が露出したもので、和銅山頂から麓を流れる銅洗堀まで幅約3メートルのくぼ地なっています。