巽神社は鎌倉駅近くの小さな神社です。現地の由緒書きによると延暦20年(801年)蝦夷征伐に向う途中の坂上田村麻呂が葛原岡に勧請、永承4年(1049年)に源頼義が改築したと伝えられます。
壽福寺の南東方向(巽)に位置することから壽福寺の鎮守として崇められ、巽荒神と呼ばれていたと言います。
758~811年、平安初期の武将。延暦13年(794年)蝦夷を征討し征夷大将軍となった。その後、胆沢城(いさわじょう)を造営し蝦夷地平定に功を残した。京都の清水寺の創建者と伝えられる。
平安時代後期の武将、八幡太郎義家として知られる。比叡山等の強訴の頻発に際しその鎮圧や白河天皇の行幸の護衛に活躍する。前九年の役で父を助けて安倍氏を討ち後に陸奥国守となった。清原氏の内紛に介入して後三年の役を起こした。東国における源氏勢力の基盤をつくった。