築城年代は定かではないが諏訪氏の居城、上原城の支城として築かれたと云われる山城です。
天文11年(1542年)武田信玄が諏訪へ侵攻し上原城の諏訪頼重を攻めると、頼重は上原城を焼き払って桑原城へと退きました。その後、頼重は降伏し甲斐へ連行され切腹することとなり諏訪氏は滅亡しました。
城は西へ突き出した尾根の先端が小高くなった所にあります。主郭には東曲輪がめぐらされその辺りに堀切や空掘が残っています。
主郭と二郭は空堀を挟んで東西に位置し主郭には東側に土塁が残っていました。
1521~1573年、戦国時代の武将。名は晴信。父、信虎を追放して家督を継ぎ信濃に進出する。越後の上杉謙信と川中島で激戦を展開した。1572年、西上の途次三方ヶ原(みかたがはら)で徳川家康を破ったが翌年三河の陣中で病没。軍略家としてすぐれ信玄家法を制定、鉱山開発・治水にも業績をあげた。
1530~1578年、戦国時代の武将。越後守護代長尾為景の子。景虎、政虎、輝虎と改名する。越後春日山城にあって北陸地方一帯を領有、小田原北条氏、甲斐武田氏と対抗した。特に武田信玄との川中島の戦いは有名。
1543~1616年、江戸幕府初代将軍。松平広忠の長男。織田信長と結んで駿河を、豊臣秀吉と和して関東を支配。豊臣秀吉の死後石田三成を関ヶ原の戦いに破り、慶長8年(1603年)征夷大将軍となって江戸に幕府を開いた。武家諸法度などを定めて幕政の基礎を築いた。