生島足鳥神社は信州上田にある神社です。祭神の生島大神は万物を生み育て生命力を与える神、足島大神は国中を満ち足らしめる神で朝廷とつながりの深い神々であることが知られています。
神池の中には神島、神橋の脇に架かる参橋を渡ると目の前に本社が祀られています。本殿内殿の土間がご神体という珍しい神社です。
その脇には十三社、子安神社が祀られていました。子安神社は良縁子宝、安産子育、夫婦円満の神として崇敬され数多くの子安絵馬が奉納されていると言います。
境内には夫婦けやきがあります。古い木のようで幹は腐りかけています。下社は諏訪神社、北宮とも呼ばれ真田信之公が寄進したものと言います。
本殿と拝殿とを石の間または相(あい)の間でつないだ神社建築様式。平安時代に始まり桃山時代から盛んになりました。日光東照宮本殿が代表的で東照大権現の名をとって権現造と言います。
1566~1658年、安土桃山・江戸初期の武将。真田昌幸の長男。初代松代藩10万石藩主。徳川家康に出仕し沼田城主となる。関ヶ原およびそれ以後の戦いでは徳川方に属し、戦後父の旧領上田に移りのち松代に移封されて真田家を存続させた。
1543~1616年、江戸幕府初代将軍。松平広忠の長男。織田信長と結んで駿河を、豊臣秀吉と和して関東を支配。豊臣秀吉の死後石田三成を関ヶ原の戦いに破り、慶長8年(1603年)征夷大将軍となって江戸に幕府を開いた。武家諸法度などを定めて幕政の基礎を築いた。