間宮林蔵の墓 
観光地の種類:史跡
所在地:東京都江東区平野2丁目7-8
訪問日:2018年1月3日
現地の案内板によると間宮林蔵は安政9年(1780年、一説には安永4年)、常陸国筑波郡上平柳村に生まれました。伊能忠敬に測量を学び寛政12年(1800年)に幕府の蝦夷地御用雇いとなり蝦夷をはじめとする北地探検と測量に従事しました。
文化5年(1808年)松田伝十郎とともに樺太を探検した林蔵は翌年単身樺太からシベリアに渡り沿海州に入り、黒竜江をさかのぼりデレンに達しました。
地理学者、探検家として知られ間宮海峡に林蔵の名前が残っています。
間宮林蔵は、安永九年(一七八〇、一説に安永四年)、常陸国(茨城県)筑波郡上平柳村に生まれ、天保十五(一八四四)年に深川蛤町の家で没しました。
名は倫宋といい、伊能忠敬に測量を学び、寛政十二(一八〇〇)年に幕府の蝦夷地御用雇となり、蝦夷(北海道)をはじめとする北地探検と測量に従事しました。
文化五(一八〇八)年、幕命により松田伝十郎とともに樺太(サハリン)を探検した林蔵は翌年七月二日単身樺太からシベリアへ渡って沿海州に入り、黒竜江(アムール川)をさかのぼりデレンに達しました。この十五ヵ月間におよぶ探検で、樺太が島であることが明らかとなりました。
林蔵は後に間宮海峡と命名される海峡を欧州人にさきがけて発見したことにより、地理学者、探検家として世界的に有名となりました。
平成二年二月一日 江東区教育委員会