久留里城(雨城、霧降城、浦田城) 
城郭の構造:連郭式山城
築城の時期:康正2年(1456年)、築城主:武田信長
廃城の時期:明治5年(1872年)
主な城主:上総武田氏、里見氏、後北条氏、大須賀忠政、土屋忠直、黒田氏
所在地:千葉県君津市久留里字内山
訪問日:2017年11月25日
久留里城は室町時代に上総武田氏の武田信長によって築かれた山城です。戦国時代には里見氏の拠る所となり、佐貫城と共に対北条氏の最前線を担いました。
駐車場からは二の丸に建てられた久留里城址資料館に登って行きます。舗装道路わきの山道には堀切や火薬庫跡などの遺構が残っています。
二の丸からは遊歩道のような道をたどり本丸へ、遊歩道沿いには天神曲輪や波多野曲輪、男・女井戸などの遺構が残っています。
本丸跡には模擬天守閣が建っています。当時の文献などから2層2階の天守閣があったと推定されていますが浜松城を模したとされる天守閣の形状はかなり違っているようです。天守閣からは丘陵が連なる周囲の景色を一望することができます。
帰りは林間歩道を通り駐車場に戻ります。途中には堀切なども残っていました。
清和源氏新田氏の流れをくむ一族。新田義重の子義俊が上野国里見郷に住し里見氏を称す。1441年結城合戦の後、義実が安房に勢力をおく。17世紀初めに徳川幕府に改易され、江戸後期に曲亭馬琴が著した南総里見八犬伝のモデルになった。