船津胎内神社・無戸室浅間神社(うつむろせんげんじんじゃ) 


 寺社の種類:神社
 創建の時期:延宝元年(1673年)
 本殿の様式:ー
 所在地:山梨県南都留郡富士河口湖町船津6603
 訪問日:2017年10月9日

 

船津胎内樹型は富士の噴火による溶岩中に形成されたもので、燃え尽きた複数の樹木により空洞ができたものです。

船津胎内神社の鳥居
胎内神社の鳥居
船津胎内神社の拝殿
胎内神社の拝殿
拝殿の内部
天井は奉納札や千社札

樹木の再溶融による母の胎内の象徴でもある肋骨状の模様ができているのが特徴とか。およそ1000年前に八合目付近から流れ出た剣丸尾溶岩流によりできたものと言います。

胎内樹型の説明板
展示されていた溶岩樹型
胎内神社の説明資料
胎内への入り口

この洞穴は富士山登拝中の富士講の行者、長谷川角行により発見されたもので、ここを浅間明神誕生の地として勧請し洞穴入口に社殿を建立したのが胎内神社の始まりと言います。

丸い樹型
母の胎内
狭い洞窟の中
子育観音、父の胎内
ライトで照らされた狭い洞窟
出口への石段
溶岩樹型の出口
溶岩樹型の出口
出口には石仏や石碑が

近くには河口湖フィルドセンター胎内樹型の説明をしてくれました。その洞窟の入り口は胎内神社の中にあります。狭い内部は女体胎内の中にちなんだ名前が付けられています。最深部は母の胎内、狭い内部は入るのもままならないようです。

 

 《国指定記念物 船津胎内樹型》現地の案内板

船津胎内樹型の案内板

昭和四年十二月十七日指定

山梨県南都留郡河口湖町船津字剣丸尾六六六三・胎内六六〇三

溶岩樹型は、噴出した溶岩が樹木を囲み固まったもので、その中は樹幹の形がみられ、剣丸尾の溶岩流に最も多い。

船津胎内樹型もその一つて、延長十八メートル程の樹型(通称父の胎内)と二本の樹幹が相連なつた樹型(通称母の胎内)とを中心に、数本の樹型が複雑に交差した貴重な樹型て、総延長約六十八メートルある。

天井には溶岩鐘乳石が群生し、側壁の溶岩は肋骨状を示し、その上溶岩は鉄分のため赤色を帯び、あたかも内臓を摘出したあとの胸腔の様にみえるため、胎内の名称がある。

この本穴の他、当地区には大小四十三個以上の樹型が存在する。

平成六年四月一日 山梨県教育委員会・河口湖町教育委員会

 

 木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)神阿多都比売命(かむあたつひめのみこと)、葦津姫命(かやつひめのみこと)

日本神話に登場する神様。古事記では瓊々杵命(ににぎのみこと)の妻となります。富士山の神とされ各地の浅間神社で祀られています。子育ての神、子安神としても篤く信仰されています。

 

 角行(かくぎょう)

天文10~天保3年(1541~1646年)江戸時代に富士講を結成した人びとが信仰上の開祖として崇拝した人物。

 

 邇邇芸命・瓊瓊杵尊・瓊々杵尊・彦火瓊瓊杵・火瓊瓊杵(にぎにぎのみこと)・天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)

日本神話に登場する神様。天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫。天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)の子。天照大神の命で葦原の中つ国を統治するため、高天原から高千穂峰に天降ったとされる。木花開耶姫(このはなのさくやびめ)を妻とし、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を生んだ。

 

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