伊曽乃神社(いそのじんじゃ) 


 寺社の種類:式内社(名神大)、旧国幣中社、別表神社
 創建の時期:(伝)第13代成務天皇7年
 本殿の様式:神明造
 所在地:愛媛県西条市中野甲1649
 訪問日:2017年9月27日

 

1800年以上の長い歴史がある神社でで古くは伊予国第一の大社であったと伝えられています。社伝によれば伊予御村別(みむらわけ)の祖の武国凝別命(景行天皇の皇子)が東予地方を開拓するにあたり、皇祖神である天照大神を祀ったことに始まると言います。

境内には木花開耶姫(このはなさくやひめ)のブロンズ像があります。境内社の古茂理(こもり)神社に木花開耶姫が祀られているため安産祈願の参拝客が多く訪れるところです。

大きな石鳥居から石畳みに覆われた参道が始まります。参道には奉納石碑が建ち並んでいました。神門をくくると菊の幔幕が張られた大きな拝殿です。瑞垣の中には神明造の本殿が建っていました。

境内には天満神社、加茂・神戸両郷内諸社遥拝所、瑞枝神社、鎮守神社(又野神社)、御先神社の摂社が祀られていました。境内社の古茂理神社は神門の向かいの杉林の中に祀られていました。

西条市・伊曽乃神社の石鳥居
参道の石鳥居
西条市・伊曽乃神社の石畳先に石鳥居
石畳の先に石鳥居
西条市・伊曽乃神社の國幣中社の石柱
國幣中社の石柱
西条市・伊曽乃神社の参道に鉄鳥居
参道に鉄鳥居
西条市・伊曽乃神社の奉納石柱が並ぶ参道
奉納石柱が並ぶ参道
西条市・伊曽乃神社の参道に注連柱
参道に注連柱
西条市・伊曽乃神社の社務所
社務所
西条市・伊曽乃神社の境内にご神木
境内にご神木
西条市・伊曽乃神社の御手水場
御手水場
西条市・伊曽乃神社の神門
神門
西条市・伊曽乃神社の大きな拝殿
大きな拝殿
西条市・伊曽乃神社の菊の幔幕が張られた拝殿
菊の幔幕が張られた拝殿
西条市・伊曽乃神社の拝殿
拝殿の内部
西条市・伊曽乃神社の瑞垣の中に本殿
瑞垣の中に本殿
西条市・伊曽乃神社の木花開耶姫のブロンズ像
木花開耶姫のブロンズ像
西条市・伊曽乃神社の摂社天満神社
摂社の天満神社
西条市・伊曽乃神社の加茂、神戸両郷内諸社遥拝所
加茂・神戸両郷内諸社遥拝所
西条市・伊曽乃神社の摂社、瑞枝神社
摂社の瑞枝神社
西条市・伊曽乃神社の鎮守神社(又野神社)
鎮守神社(又野神社)
西条市・伊曽乃神社の御先神社
御先神社
西条市・伊曽乃神社の境内社古茂理神社
境内社の古茂理神社
西条市・伊曽乃神社の古茂理神社
古茂理神社
西条市・伊曽乃神社の古茂理神社の本殿
古茂理神社の本殿

 

 八幡大神(やはたのかみ・はちまんおかみ)誉田別命、品陀別命(ほんだわけのみこと)

日本で信仰される神で、清和源氏、桓武平氏など全国の武家から弓矢八幡として崇敬を集めました。誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされます。

また早くから神仏習合がなり、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)として神宮寺が祀られました。

 

 武国凝別命(たけくにこりわけのみこ)

日本書紀に伝わる古代日本の皇族です。第12代景行天皇の皇子として生まれました。母は高田媛。伊予国の御村別(みむらのわけ/みむらわけ)の祖と記されています。

 

 神明造(しんめいづくり)

神社本殿の建築様式の一つ。素木造(しらきづくり)、切妻造で、屋上に千木(ちぎ)堅魚木(かつおぎ)を載せます。伊勢神宮が代表例です。

 

 木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)神阿多都比売命(かむあたつひめのみこと)、葦津姫命(かやつひめのみこと)

日本神話に登場する神様。古事記では瓊々杵命(ににぎのみこと)の妻となります。富士山の神とされ各地の浅間神社で祀られています。子育ての神、子安神としても篤く信仰されています。

 

 八幡大神(やはたのかみ・はちまんおかみ)誉田別命、品陀別命(ほんだわけのみこと)

日本で信仰される神で、清和源氏、桓武平氏など全国の武家から弓矢八幡として崇敬を集めました。誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされます。

また早くから神仏習合がなり、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)として神宮寺が祀られました。

 

 応神天皇(おうじんてんのう)譽田別尊(ほんだわけのみこと)八幡大神(やはたおおかみ)

第15代天皇(在位:270年1月1日~310年2月15日 )仲哀天皇の第4皇子、母は神功皇后。神功皇后が新羅へ渡ったときに身篭っていたことから胎中天皇などと呼ばれています。記紀には渡来人を用いて国家を発展させ、中世以降は軍神八幡神としても信奉されでいます。

大和朝廷の勢力が飛躍的に発展した時期で一説に中国の歴史書に記述のある倭の五王の一人、讃とする説があります。陵墓は大阪府羽曳野市誉田6丁目の恵我藻伏崗陵。

6世紀前半に在位したとされる第26代継体天皇以前の天皇については、第21代雄略天皇を別として実在の可能性が薄いという見解があります。

 

 神仏習合(しんぶつしゅうごう)神仏混淆(しんぶつこんこう)

日本古来の神と外来宗教である仏教とを結びつけた信仰のこと。すでに奈良時代から寺院に神が祀られたり、神社に神宮寺が建てられたりした。平安時代頃からは本格的な本地垂迹(ほんじすいじやく)説が流行し、中世になって両部神道などが成立した。

 

 八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)

八幡神に対して奉られた菩薩号。奈良時代に始る神仏習合から起った称号

 

 景行天皇(けいこうてんのう)、大足彦忍代別尊(おおたらしひこおしろわけのみこと)

第12代天皇(在位:71年7月11日~130年11月7日 )垂仁天皇の第三皇子。都は大和の纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)。熊襲くまそを征討し、皇子の日本武尊(やまとたけるのみこと)を派遣して蝦夷を平定したという。陵墓は奈良県天理市渋谷町の山辺道上陵。

 

 邇邇芸命・瓊瓊杵尊・瓊々杵尊・彦火瓊瓊杵・火瓊瓊杵(にぎにぎのみこと)・天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)

日本神話に登場する神様。天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫。天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)の子。天照大神の命で葦原の中つ国を統治するため、高天原から高千穂峰に天降ったとされる。木花開耶姫(このはなのさくやびめ)を妻とし、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を生んだ。

 

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