武田神社は躑躅ヶ崎館の跡地(武田氏館跡)に建てられ、武田信玄を祭神とする神社です。
大正4年、武田信玄に従三位が追贈されたのを契機に、武田神社ご創建の機運が高まり大正8年(1919年)社殿が完成、4月12日の命日には初の例祭が奉仕されました。
たくさんの観光客で賑わう石段を登って行くと武田神社の拝殿が建っています。拝殿の右側には宝物殿、社務所前には姫の井戸と水琴窟がありました。信玄公のご息女誕生の際、産湯に使用されたことから名付けられたと言います。
1521~1573年、戦国時代の武将。名は晴信。父、信虎を追放して家督を継ぎ信濃に進出する。越後の上杉謙信と川中島で激戦を展開した。1572年、西上の途次三方ヶ原(みかたがはら)で徳川家康を破ったが翌年三河の陣中で病没。軍略家としてすぐれ信玄家法を制定、鉱山開発・治水にも業績をあげた。
1530~1578年、戦国時代の武将。越後守護代長尾為景の子。景虎、政虎、輝虎と改名する。越後春日山城にあって北陸地方一帯を領有、小田原北条氏、甲斐武田氏と対抗した。特に武田信玄との川中島の戦いは有名。
1543~1616年、江戸幕府初代将軍。松平広忠の長男。織田信長と結んで駿河を、豊臣秀吉と和して関東を支配。豊臣秀吉の死後石田三成を関ヶ原の戦いに破り、慶長8年(1603年)征夷大将軍となって江戸に幕府を開いた。武家諸法度などを定めて幕政の基礎を築いた。