横浜駅東口周辺の、平沼、西平沼町、高島、みなとみらい、緑町の氏神です。社伝によれば天保10年、平沼新田の塩田に流れ着いた祠をこの地に祀ったもので九州久留米の水天宮のお札だ収められていたことから水天宮と称し、安産、水の神様として崇敬されてきました。
ビルの谷間に祀られた狭い境内には奉納旗が掲げられています。本殿の脇には平沼稲荷神社、稲荷神社、竈三柱神社、平沼天満宮が摂社が祀られています。
第81代天皇(在位:1180年2月21日~1185年3月24日)高倉天皇の皇子。母は平清盛の娘建礼門院徳子。2歳で即位、平宗盛に擁せられて西国に落ち、壇ノ浦で平氏一門とともに入水した。陵墓は山口県下関市阿弥陀寺町の阿弥陀寺陵。
天地のはじめに天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)、神皇産霊尊(かみむすびのみこと)とともに高天原にあらわれた造化三神の一神。天照大神(あまてらすおおみかみ)とともに高天原を主宰する。
天地開闢(てんちかいびゃく)のときに高天原に出現し万物生成化育の根源となった三神。天御中主神(あまのみなかぬしのかみ)、神皇産霊神(かみむすひのかみ)、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の三神で性別を持たないとされます。
第80代天皇(在位:1168年2月19日~1180年2月21日)後白河天皇第7皇子。在位中は平清盛の隆盛時にあたりその娘徳子を中宮とした。陵墓は京都府京都市東山区清閑寺歌ノ中山町の後清閑寺陵。
1118~1181年、平安末期の武将。平忠盛の長男。白河法皇の落胤とも伝えられる。父の地位と遺産を受け継いで政界に進出。保元の乱・平治の乱により対立勢力を一掃、従一位太政大臣となる。娘徳子を高倉天皇に入内させ官職を一門で独占、知行三十余国に及ぶ平氏政権を樹立した。