古峯神社(ふるみねじんじゃ) 


 寺社の種類:神社
 創建の時期:-
 主祭神:日本武尊
 本殿の様式:-
 所在地:栃木県鹿沼市草久3027
 訪問日:2016年3月20日

 

古峰ヶ原に鎮座する神社で日本武尊を祀る神社です。防火、海上安全の神として崇敬を受け多くの参拝客が訪れるところです。

駐車場近くに土産物屋さん
鳥居の脇に古峯神社の石柱
大鳥居の奉納碑
大鳥居の先に参道

古峯ヶ原は日光を開いた勝道上人の修行の場です。上人は古峯ヶ原深山巴の宿において3ヶ年の修行の後、男体山に初登頂し大日光開山の偉業を成しとげられたと伝えられています。

この縁起にもとづき、日光修験道が盛んになり深山宿を中心とした三峯五禅頂の修行が行われていました。しかし古峯神社は明治維新の神仏分離令により仏具一切を取り除き純然たる神社となりました。

境内にたくさんの奉納碑
境内に鳥居
古峯園は日本庭園
石段の上に社殿
社殿に神額
茅葺の社殿

古峯神社の大鳥居の周辺には多くの奉納碑があります。参道の途中には古峯園の入り口、廻遊式日本庭園と言いますが扉は閉まっていました。

社殿の屋根に天狗の面
境内に狛犬
境内に狛犬
奉納された天狗の面

石段を登ると茅葺の社殿が建っています。社殿の中にはたくさんの天狗の面が祀られていました。また茅葺の屋根にも真っ赤な天狗の面が掲げれれています。

古峯神社の御朱印には手書きの天狗が描かれています。デザインは20ほど、御朱印としては珍しいものです。

 日本武尊・倭建命(やまとたけるのみこと)

日本の古代史における伝承上の英雄。景行天皇の皇子です。気性が激しいため天皇に敬遠され、九州の熊襲(くまそ)や東国の蝦夷(えぞ)の討伐に遣わされたといわれています。風土記なども含めてさまざまな伝説が残っています。

 

 日本武尊・倭建命(やまとたけるのみこと)

日本の古代史における伝承上の英雄。景行天皇の皇子です。気性が激しいため天皇に敬遠され、九州の熊襲(くまそ)や東国の蝦夷(えぞ)の討伐に遣わされたといわれています。風土記なども含めてさまざまな伝説が残っています。

 

 勝道(しょうどう)・勝道上人(しょうどうしょうにん)

奈良時代末から平安初期の山岳仏教の僧。下野の人。日光山を開き中禅寺を建てたと伝えられる。

 

 神仏分離令(しんぶつぶんりれい)廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)

明治元年(1868年3月)、明治政府によって出された神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(はいぶつきしやく)運動が起り神社と習合していた寺院の仏堂、仏像、仏具などの破壊・撤去された。

 

 景行天皇(けいこうてんのう)、大足彦忍代別尊(おおたらしひこおしろわけのみこと)

第12代天皇(在位:71年7月11日~130年11月7日 )垂仁天皇の第三皇子。都は大和の纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)。熊襲くまそを征討し、皇子の日本武尊(やまとたけるのみこと)を派遣して蝦夷を平定したという。陵墓は奈良県天理市渋谷町の山辺道上陵。

 

 景行天皇(けいこうてんのう)、大足彦忍代別尊(おおたらしひこおしろわけのみこと)

第12代天皇(在位:71年7月11日~130年11月7日 )垂仁天皇の第三皇子。都は大和の纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)。熊襲くまそを征討し、皇子の日本武尊(やまとたけるのみこと)を派遣して蝦夷を平定したという。陵墓は奈良県天理市渋谷町の山辺道上陵。

 

 神仏習合(しんぶつしゅうごう)神仏混淆(しんぶつこんこう)

日本古来の神と外来宗教である仏教とを結びつけた信仰のこと。すでに奈良時代から寺院に神が祀られたり、神社に神宮寺が建てられたりした。平安時代頃からは本格的な本地垂迹(ほんじすいじやく)説が流行し、中世になって両部神道などが成立した。

 

 神仏分離令(しんぶつぶんりれい)廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)

明治元年(1868年3月)、明治政府によって出された神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(はいぶつきしやく)運動が起り神社と習合していた寺院の仏堂、仏像、仏具などの破壊・撤去された。

 

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