猿田彦大神庚申堂 
江戸時代、巣鴨庚申塚は中山道の立場として多くの旅人で賑わうところでした。かつてこの地には文亀2年(1502年)建立された庚申塔がありました。現在の庚申塔は明暦3年(1657年)の明暦の大火ののち再建されたもので、明治時代には銚子の猿田彦神社の分霊を勧請したと言います。
小さな境内はたくさんの参拝客でにぎわっています。参道には狛犬ならぬ猿の石像が祀られています。その下には「見ざる言わざる聞かざる」の三猿が彫られています。これも庚申塔の一つなのでしょう。
江戸時代に書かれた紀行文の「遊歴雑記」に当庚申塚を次のように書いている。
「武州豊島郡すがも庚申塚は江戸より板橋の駅に入る立場なりよしず囲いの茶店あり団子茶屋と称す。
石碑を見るに明暦と彫られ、又 古老からの聞き書きとして文亀二年(一五〇二年)に塔を建立高さ八尺なり然るに明暦三年正月世にいう振袖火事の大火おこり江戸中九分通りを焼き払う、復興資材をひさくものひきもきらず、たまたま当庚申塔に立懸けたる竹木倒れ石碑四つ五つに砕けたり、故に庚申塚とてその名高し」とかかれている。
又、長谷川雪目の描いた江戸とその近郊の絵入り地誌「江戸名所図会」にはこの庚申塚に中山道の立場があり旅人が茶屋で休息している様子が描かれている。広重の浮世絵にも当地の描写があり、付近の賑いが見られる。
庚申様を神として祭ったのがいつの頃か判然としないけれども、神社としては伊勢皇大神宮の一角に大きな区画を占めて猿田彦神社があり、神宮は猿田彦の先導により開かれたと称されている。
この辺がら道祖神との関連も結びつくようである。神道による庚申信仰も相当の歴史をもって受け継がれて来たものであり、当「巣鴨猿田彦大神庚申堂」もその好例であろう。
前途のように文亀二年(一五〇二年)に建てた「庚申待供養板碑」は破損し明暦三年(一六五三年)に建て直したものが現在御本殿に祭る「庚申塔」である。
戦前は町会事務所なとも合築された堂宇であったが戦災で焼失、その為この石碑の文字も判読しにくいが、江戸時代の庶民信仰と地域の歴史を知る上で大切なものとして豊島区の登録文化財にもなっている。 ところで、庶民の間に庚申講が盛んになった頃、「庚申待ち」という集まりが行われ、庚申の日に夜を待して来世の幸福を願って天帝に祈り酒食を持ち寄って賑やかに過す、という祭りが流行した、今はすたれたけれども当庚申堂のもその名残が偲ばれる。
昭和四十六年に御本堂を再建し、以後四十九年には御水舎、平成三年には山門も形を整え創荘厳さを増して、参拝の方々に喜ばれている。
年に六~七回、庚申の日はお祭りをして多くの信者を迎えている。
御祭神は左の通りである。
地津主 甲子大巳貴神
天津祖 庚申猿田彦大神
人津靈 巳己少彦名神
道祖神、寿命神、金神、塩竃神、幸神、船玉神
平成四年六月吉日 巣鴨猿田彦大神庚申堂 奉賛会天津相
出雲神話の神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子または孫です。少彦名神(すくなびこなのかみ)とともに、中つ国の経営を行っましたが、天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退しました。
大黒天と同一視されるようにもなりました。因幡(いなば)の白兎の神話は唱歌にも歌われています。
日本神話に登場する神。天孫降臨に登場する神で、天照大神に遣わされた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を道案内した国津神です。伊勢国五十鈴川のほとりに鎮座したとされ、中世には庚申信仰や道祖神と結びつきました。
古事記では神産巣日(かんむすひ)神の、日本書紀では高皇産霊(たかみむすひ)尊の子です。大国主神の国土経営に協力したが伯耆国淡島で粟茎(あわがら)に弾かれて常世(とこよ)国に行ったとされています。
密教で鬼病を流行させる鬼神。日本では庚申信仰に取り入れられ、庚申待まちの本尊となる。 体は青色で二本、四本または六本の腕があり、弓矢宝剣を握り、頭髪はさか立ち体に蛇をまとい足に鬼を踏んでいる。
庚申待ち供養塔、主神として青面金剛のほか猿田彦大神、帝釈天、大日如来像が彫られるもの、庚申塔、青面金剛、猿田彦大神などの文字が彫られるものがある。
三猿や鶏、邪鬼、日月などが併せて彫られることが多い。
日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。
高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。
日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。
日本神話に登場する神様。天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫。天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)の子。天照大神の命で葦原の中つ国を統治するため、高天原から高千穂峰に天降ったとされる。木花開耶姫(このはなのさくやびめ)を妻とし、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を生んだ。
十干十二支の一つ庚申の日の禁忌を中心とする信仰。中国では道教の説で庚申の夜睡眠中に体内の三尸虫(さんしちゅう)が逃げ出してその人の罪を天帝に告げると言い虫が逃げぬよう徹夜する風習があった。
出雲神話の神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子または孫です。少彦名神(すくなびこなのかみ)とともに、中つ国の経営を行っましたが、天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退しました。
大黒天と同一視されるようにもなりました。因幡(いなば)の白兎の神話は唱歌にも歌われています。
十干十二支の一つ庚申の日の禁忌を中心とする信仰。中国では道教の説で庚申の夜睡眠中に体内の三尸虫(さんしちゅう)が逃げ出してその人の罪を天帝に告げると言い虫が逃げぬよう徹夜する風習があった。
密教で鬼病を流行させる鬼神。日本では庚申信仰に取り入れられ、庚申待まちの本尊となる。 体は青色で二本、四本または六本の腕があり、弓矢宝剣を握り、頭髪はさか立ち体に蛇をまとい足に鬼を踏んでいる。
日本神話に登場する神。天孫降臨に登場する神で、天照大神に遣わされた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を道案内した国津神です。伊勢国五十鈴川のほとりに鎮座したとされ、中世には庚申信仰や道祖神と結びつきました。
真言密教の教主。諸仏、諸菩薩の根元をなす理智体で宇宙の実相を仏格化した根本仏とされる。智徳の表現が金剛界大日、理徳の表現が胎蔵界大日とされ、天台宗では大日如来と釈迦如来は法身、応身で同体とし、真言宗では釈迦如来は顕教の教主とみて異体とする。