平安末期の歌人・西行法師は大磯の海岸を吟遊して歌を詠んだと言います。
寛文4年(1664年)小田原の崇雪が五智如来像を祀り草庵を結び鴫立沢の標石を建てたのが鴫立庵の始まりとされています。
京都の落柿舎、滋賀県の無名庵とともに、日本三大俳諧道場の一つと言われています。
平安後期の歌人。武家に生まれ鳥羽上皇に北面武士として仕えるがのち出家する。平清盛・時忠、崇徳院・徳大寺実能らと交わる。仏道修行、和歌に励み、諸国を遍歴。仏教観を基として独自の抒情歌を確立。新古今集に九四首収められ、家集に山家集などがある。
密教の五智をそれぞれそなえた如来。大日如来(だいにちにょらい)・法界体性智(ほつかいたいしようち)、阿?如来(あしゆくにょらい)大円鏡智(だいえんきょうち)、宝生如来(ほうしよう)・平等性智(びょうどうしょうち)・阿弥陀如来(あみだにょらい)・妙観察智(みょうかんさっち)、不空成就如来(づくうじょうじゅ)・成所作智(じようしよさち)の五如来
1118~1181年、平安末期の武将。平忠盛の長男。白河法皇の落胤とも伝えられる。父の地位と遺産を受け継いで政界に進出。保元の乱・平治の乱により対立勢力を一掃、従一位太政大臣となる。娘徳子を高倉天皇に入内させ官職を一門で独占、知行三十余国に及ぶ平氏政権を樹立した。