かつて国府のあった多賀城近くにあった奏社宮とされる神社です。
多賀城近くの丘の上にある社殿には陸奥の国式内百座の神社名が記されていました。
神社建築様式の一つ。屋根の前のほうが長く伸びて向拝をおおい、庇と母屋が同じ流れで葺いてあるのでこの名がある。
正面の柱が2本であれば一間社流造、柱が4本であれば三間社流造という。奈良時代末~平安時代に成立し広く各地に流布しました。
日本神話に登場する神様、塩竈明神とも言います。古事記では塩椎神(しおつちのかみ)、日本書紀では塩土老翁・塩筒老翁と表記します。別名は事勝国勝長狭神(ことかつくにかつながさ)
神武東征の際には東方に良い国があることを天皇に教えたとされています。
海幸(うみさち)山幸神話では、海幸彦の釣り針をさがしあぐねている山幸彦(彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと))に海神(わたつみ)の宮への道筋を教えたとされています。