宇都宮城は関東七名城の一つに数えられたお城です。宇都宮城の築城は平安時代末期で、藤原秀郷とも藤原宗円とも言われております。
鎌倉時代には鎌倉幕府の御家人宇都宮氏の居城となり戦国時代には堀や土塁をめぐらせた堅固な城になりました。
江戸時代になると徳川譜代大名の居城となり中でも本多正純は城と城下町の大改造を行い、今日の宇都宮の中心市街地の骨格を作り上げたと言われています。
宇都宮城のつり天井事件では本多正純が将軍秀忠の暗殺を謀ったと言われていますが、幕府内での勢力争いの結果と言うことなのでしょう。
戊辰戦争の戦火で宇都宮城は焼失し、その後の市街地化で現在は宇都宮城址公園に本丸の土塁と富士見櫓、清明台などが復元されているだけです。
1579~1632年、江戸幕府第二代将軍(1605~1623年)。徳川家康の三男。大坂両度の陣に出陣、家康の遺命を守って諸法度の制定・キリシタン禁圧など幕府草創期の基礎を固めた。
王政復古によって成立した新政府が反抗する諸藩軍や旧幕府残存勢力を武力をもって平定し統一国家の基礎を固めることになった内乱。戦乱は1868年(明治1)から69年5月まで1年半に及んだ。鳥羽・伏見の戦いに勝利した政府軍は、4月江戸城を接収、上野にこもる彰義隊はじめ関東各地で旧幕府主戦派を討滅、奥羽越列藩同盟を結んで対抗する諸藩をも会津戦争を頂点に10月には帰順させた。翌年5月、最後の拠点箱館五稜郭を陥落させ内戦は終結、明治国家確立への途が開かれた。
?~940年、平安中期の武将。上洛して藤原忠平に仕えたが、希望が叶えられず関東に戻った。同族内の領地争いから伯父の国香を殺し、武蔵国や常陸国の紛争に介入するなど関東に勢力を拡げた。自ら新皇と称し関東独立を図ったが朝廷の追討軍との争いに破れた。京都で処刑され首が飛び帰って葬られたのが大手町将門首塚とされる。
1543~1616年、江戸幕府初代将軍。松平広忠の長男。織田信長と結んで駿河を、豊臣秀吉と和して関東を支配。豊臣秀吉の死後石田三成を関ヶ原の戦いに破り、慶長8年(1603年)征夷大将軍となって江戸に幕府を開いた。武家諸法度などを定めて幕政の基礎を築いた。