修禅寺に対面した鹿山の麓には指月殿があります。2代将軍源頼家の菩提を弔うため北条政子が建立したものです。
18歳で鎌倉幕府の2代将軍になった頼家はやがて政争に巻き込まれ、修禅寺に幽閉されたのち北条時政の手により23歳という若さで筥湯で暗殺されました。
指月殿の裏には頼家の墓があります。また近くには源頼家の家臣十三人の墓もありました。頼家が殺された後に再起を期して謀叛を企てたものの、挙兵前に発見され殺されたと伝えられています。
1182~1204年、鎌倉幕府2代将軍。源頼朝の長男。頼朝の死により家督を継ぎ、1202年征夷大将軍に任じられたが、北条時政らに実権を奪われた。比企能員(ひきよしかず)とともに北条氏追討を企てるも失敗、伊豆修善寺に幽閉され謀殺された。
1182~1204年、鎌倉幕府2代将軍。源頼朝の長男。頼朝の死により家督を継ぎ、1202年征夷大将軍に任じられたが、北条時政らに実権を奪われた。比企能員(ひきよしかず)とともに北条氏追討を企てるも失敗、伊豆修善寺に幽閉され謀殺された。
1147~1199年 鎌倉幕府初代将軍。義朝の三男。平治の乱のち伊豆蛭ヶ小島に配流される。1180年以仁王もちひとおうの平氏追討の令旨に応じ挙兵。石橋山の戦いに敗れ安房に逃げたが東国武士の来援を得て関東を制し鎌倉にはいって根拠地とした。平維盛の追討軍を富士川に破り弟の範頼・義経を西上させ、85年壇ノ浦で平氏を討滅し全国を平定。全国に守護・地頭を設置、武家政治の基礎を確立。
1147~1199年 鎌倉幕府初代将軍。義朝の三男。平治の乱のち伊豆蛭ヶ小島に配流される。1180年以仁王もちひとおうの平氏追討の令旨に応じ挙兵。石橋山の戦いに敗れ安房に逃げたが東国武士の来援を得て関東を制し鎌倉にはいって根拠地とした。平維盛の追討軍を富士川に破り弟の範頼・義経を西上させ、85年壇ノ浦で平氏を討滅し全国を平定。全国に守護・地頭を設置、武家政治の基礎を確立。