彰義隊慰霊碑 


 観光地の種類:史跡
 所在地:東京都台東区上野公園
 訪問日:2014年9月26日

 

鳥羽伏見の戦いで敗れた徳川慶喜は朝廷に恭順謹慎を示すため江戸城を去り上野寛永寺に入りました。これを警護するため結成されたのが彰義隊です。江戸城の無血開城、徳川慶喜が水戸に移ってからも彰義隊は上野に籠り続けたため大村益次郎が指揮する新政府軍が上野に総攻撃を開始し、わずか1日で彰義隊は壊滅しました。

彰義隊慰霊碑
彰義隊の墓の案内板

上野公園に西郷隆盛の銅像の後ろに彰義隊の墓があります。敗れた彰義隊士の遺骸は放置されていましたが三ノ輪円通寺の仏磨和尚と寛永寺の御用商人の三河屋幸三郎が上野山で荼毘にふし一部を円通寺に埋葬したと言います。1874年(明治7年)元彰義隊士小川興郷などの願が許可され、上野に彰義隊の墓が建立されました。

 徳川慶喜(とくがわよしのぶ)

1837~1913年、江戸幕府15代将軍。水戸藩主徳川斉昭の七男。十三代将軍家定の継嗣問題で家茂と争い敗れるが、将軍後見役となり幕権の維持・公武合体政策を進める。家茂歿後、将軍となり幕政改革を行なう。慶応3年(1867)大政奉還し翌年江戸城を明け渡した。

 

 西郷隆盛(さいごうたかもり)

1828~1877年、軍人、政治家。討幕の指導者として薩長同盟・戊辰戦争を遂行し明治維新の三傑の一人と称された。新政府の参議・陸軍大将となったが、明治6年(1873年)征韓論に関する政変で下野、帰郷。明治10年(1877)西南戦争に敗れ城山で自決。

 

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