横浜市戸塚区平戸にある臨済宗円覚寺派のお寺です。創建の年代は不詳ですが新編相模国風土記によると開山は建長寺の養谷と言います。中興開祖は円覚寺102世大雅省音和尚で、一説には大雅省音和尚を開山として応永8年(1401年)の創建とも伝えています。
国道1号線から石段を登ると寶所在近の扁額を掲げたコンクリート造りの本堂が建っています。寶所在近は法華経の化城喩品(けじょうゆぼん)の中の喩え話に由来する言葉と言います。
近くに建つ子母美薬師堂は行基が彫ったとされる子母美薬師瑠璃光如来を祀るお堂です。この薬師像は旧東海道一里塚に安置されていたもので慶安3年(1605年)この地に移設されたと言います。
仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。
はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。
奈良時代の僧、668~749年。百済系の渡来人。法相宗を学び諸国を巡って布教た。民衆とともに道路・堤防・橋や寺院の建設にあたったが僧尼令違反として禁止された。後に聖武天皇の帰依を受け、東大寺・国分寺建立に協力。日本最初の大僧正の位を授けられた。
第45代天皇(在位:724年2月4日~749年7月2日)文武天皇の第一皇子。光明皇后とともに仏教を厚く信仰。全国に国分寺・国分尼寺を置き東大寺を建立して大仏を造立した。陵墓は奈良県奈良市法蓮町の佐保山南陵。