平戸白幡神社 


 寺社の種類:神社
 創建の時期:乾元元年(1302年)
 主祭神:源頼朝
 社殿の様式:-
 所在地:神奈川県横浜市戸塚区平戸町302
 訪問日:2014年4月8日

 

乾元元年(1302年)東福寺の鎮守として鎌倉鶴岡の相承院の前住元智が勧請。明和6年(1769年)相承院を通じ、みたましろとし頼朝公の御鬢髪三筋を送られたと伝えられる神社です。

国道1号線沿いに白幡神社
白幡神社の鳥居
急な石段を登ります
由緒書きの石碑
古い御手水場
境内の奥に社殿
境内の奥に社殿
白幡神社の扁額

全国に70社余りある白幡神社の一つです。急な石段を登ると境内の奥に白幡神社の扁額を掲げる社殿が祀られていました。境内から続く小道を下ると東福寺があります。

関連記録・コース

 源頼朝(みなもとよりとも)

1147~1199年 鎌倉幕府初代将軍。義朝の三男。平治の乱のち伊豆蛭ヶ小島に配流される。1180年以仁王もちひとおうの平氏追討の令旨に応じ挙兵。石橋山の戦いに敗れ安房に逃げたが東国武士の来援を得て関東を制し鎌倉にはいって根拠地とした。平維盛の追討軍を富士川に破り弟の範頼・義経を西上させ、85年壇ノ浦で平氏を討滅し全国を平定。全国に守護・地頭を設置、武家政治の基礎を確立。

 

 平治の乱(へいじのらん)

保元の乱(ほげんのらん)の後、平治1年(1159年)12月、京都に勃発した内乱。後白河上皇の近臣間の暗闘が源平武士団の対立に結びつき、藤原信頼・源義朝による上皇幽閉、藤原通憲(信西)殺害という事件に発展した。しかし平清盛の計略によって上皇は脱出し、激しい合戦のすえ源氏方は敗北した。これ以後、平氏の政権が成立した。

 

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