金沢文庫の入口近くには北条顕時、金沢貞顕の廟所があります。北条顕時は北条実時の子、安達泰盛が霜月騒動で粛清されたことにより逼塞を余儀なくされたが、その後に第9代執権北条貞時の信頼を回復して復権しました。顕時の代に金沢流北条氏は全盛期を迎えました。
また金沢貞顕は鎌倉幕府15代の執権、嘉暦騒動と呼ばれる鎌倉幕府の勢力争いで僅か10日で執権を辞職しました。正慶2年(1333年)鎌倉幕府の滅亡にあたっては北条高時と共に東勝寺で自刃したと言います。
廟所の案内板には向かって左が金沢貞顕、右が北条顕時の廟と紹介されていました。
1303~1333年、鎌倉幕府第14代執権。北条貞時の子。14歳で執権となったが内管領長崎高資らに実権を握られ遊宴にふけったため幕政は混乱。元弘の乱で後醍醐天皇を隠岐に配流し光厳天皇を擁立したが、新田義貞に鎌倉を攻められ東勝寺で自刃した。
1331年(元弘元年)後醍醐天皇によって起こされた政変。鎌倉幕府の討幕を企てて露顕し、天皇は捕らえられ隠岐に流された。天皇の隠岐脱出に呼応して諸将が蜂起、幕府は倒れ建武の中興をみるに至った。
第96代天皇(在位:1318年3月29日~1339年8月15日)後宇多天皇の皇子。大覚寺統。親政を企てて正中の変、元弘の変に敗れ、隠岐に流された。1333年脱出し新田義貞、足利尊氏らの支援で鎌倉幕府を滅ぼして建武新政権を樹立。
のち公武の不和から親政は失敗し尊氏らも離反、36年吉野に移り南朝を立てた。陵墓は奈良県吉野郡吉野町吉野山の塔尾陵。
北朝第1代天皇(在位:1332年9月20日~1333年5月25日)後伏見天皇の皇子。持明院統。後醍醐天皇の皇太子となり、元弘の変後、北条高時に擁立されて践祚。鎌倉幕府滅亡により退位。建武の新政失敗後に院政を行う。陵墓は京都府京都市右京区京北井戸町丸山の国山陵。
1301~1338年、鎌倉末期・南北朝時代の武将。元弘3年(1333年)鎌倉幕府を滅ぼし建武政権から重用された。のち足利尊氏と対立、兵庫で楠木正成(くすのきまさしげ)とともに九州から東上する尊氏と戦ったが敗れ、恒良・尊良両親王を奉じて越前金崎城によったが落城。藤島の戦いで討ち死にした。