しまなみ海道の周辺は瀬戸内海の制海権を握っていた村上水軍の活躍したところです。能島村上家、来島村上家、向島村上家の三家が通行税の徴収や水先案内、海上警備を行っていました。戦国時代、因島村上家は毛利氏に臣従、毛利水軍の一翼を担い厳島の戦いなどで活躍しました。江戸時代には能島村上家とともに長州藩の船手組となったと言います。
因島には当時の村上水軍の歴史を伝える水軍城があります。実際の水軍城は岬などに築かれていたようですがしまなみ海道の工事に伴い、村上水軍の菩提寺のある金蓮寺近くの高台に観光施設として築かれたものです。
尾道市街から尾道大橋を渡り向島へ。大きな向島には国道317号線が通っていますが因島まではしまなみ海道でしか渡ることが出来ません。結局尾道からはしまなみ海道を通ったほうが便利だったようです。
金蓮寺傍の駐車場に車を停め因島水軍城へ。そぼ降る雨の中、石段を登って行くと隅櫓を模した海運関係の資料館、赤い館風の水軍関係の資料館が建っていました。水軍関係の資料館には村上水軍の活躍を紹介する展示、鎧や武具なども展示してありました。
1497~1571年、戦国時代の武将。大内義隆が家臣陶晴賢(すえはるかた)に倒されたのち、陶氏を討って周防・長門を支配下に収めた。出雲の尼子氏を倒して中国地方10か国を制覇。一族の結束を固めるための三本の矢の教訓が有名。