富津崎と対峙するように東京湾に突き出した岬はかつて首都を守る要塞として立ち入りが厳しく制限されていました。しかし今では照葉樹林に覆われた岬は観音崎公園として整備され、たくさんの観光客でにぎわうところです。
たくさんの車で溢れる駐車場から遊歩道を進むと荒磯に波が打ち寄せる海岸園地になっています。小さな子供を連れた家族連れが波打ち際でカニや貝などを採っていました。
たどり着いた観音崎の灯台は東日本大震災の影響と言うことで見学を中止していました。地震はこのようなところにも影響しているようです。
照葉樹林の中をたどる遊歩道を進んでいくと大きなレーダードームを頭に載せた東京湾海上交通センターがそびえていました。狭くなった浦賀水道は海運の要衝と言うことでたくさんの船が行き来するところです。その先のトンネルを越えると自衛隊の水上見張所という施設もありました。
遊歩道からレンガ造りの古いトンネルをくぐると北門第3砲台跡にたどり着きます。ここは日露戦争の203高地攻略で活躍した28サンチ榴弾砲が設置されていたところと言います。近くにあった案内板には年末に放映される坂の上の雲でも登場すると案内されていました。
遊歩道を進むと戦没船員の碑です。大きなモニュメントが見下ろす浦賀水道にはたくさんの船が行き来しています。太平洋戦争では多くの軍艦が沈みましたが、それ以上の数の貨物船などが今でも南の海の中に眠っているのでしょう。
さらに遊歩道の先には花に彩られた園地や要塞跡が点在しています。赤い煉瓦造りの要塞は戦争の歴史を後世に語る継いでいく資料でしょう。浦賀水道に浮かぶお台場もまた首都を守る砲台として造られたところと言います。