高勝寺は関東の高野山、日本三大地蔵尊などして知られる栃木の霊場です。岩船山の山上に伽藍や宝塔、石像を配置したた境内には水子供養のための「賽の河原」や、罪を犯した女性が堕ちるといわれる「血の池」などもあります。
舗装道路を登って行くと車は通行止めの案内板、仕方なく山門まで歩きましたが山門わきの駐車場が開いていました。
朱塗りの山門の前には賽ノ河原があります。小さい子供を亡くした人が供えたのか、お地蔵さんの前には人形や風車が所狭しと供えられています。
山門をくぐるり急な階段を登ると本堂です。お彼岸の供養なのか卒塔婆を抱えお参りに訪れる人も多いようです。
ここから遊歩道のような道を登って行くと奥ノ院にたどり着きました。地蔵橋の先には奥ノ院があたようですが危険なためか通行が禁止されていました。
山頂周辺には小さな祠などもあります。目の前が切れ落ちた展望台に立つと岩船の町並みが箱庭のように見渡せました。
見上げる三重塔は県の文化財にも指定されたものです。本堂の左奥には血の池地獄、たくさんの石塔の傍には卒塔婆が立てかけられていました。
法華経を根本経典とする大乗仏教の一派。575年隋の智顗(ちぎ)が天台山にこもって大成。日本へは奈良時代に唐僧鑑真(がんじん)が初めて伝え、平安初期に最澄が比叡山に延暦寺を建て開宗。のち山門派と寺門派、さらに真盛(しんぜい)派に分かれた。
中国、唐代の高僧。日本律宗の開祖。揚州大明(たいめい)寺で戒律を講じ名声があった。742年日本僧栄叡(ようえい)らの請に応じて来日を志したが海賊や風波の災で5度挫折の後、754年渡来した。
仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。
はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。