佐野市には米山古墳という古墳があります。
そのすそ野の薬師堂は関ヶ原の合戦を前に真田昌幸と、信行が東軍・西軍に分かれる談合をしたという犬伏の別れの舞台となったところと伝えられています。
1566~1658年、安土桃山・江戸初期の武将。真田昌幸の長男。初代松代藩10万石藩主。徳川家康に出仕し沼田城主となる。関ヶ原およびそれ以後の戦いでは徳川方に属し、戦後父の旧領上田に移りのち松代に移封されて真田家を存続させた。
慶長5年(1600年)関ヶ原で石田三成らの西軍と徳川家康らの東軍とが天下を争った戦い。小早川秀秋の寝返りにより東軍が大勝した。石田三成らは処刑され豊臣秀頼は60万石の大名に転落した。これにより徳川氏の覇権が確立した。
1543~1616年、江戸幕府初代将軍。松平広忠の長男。織田信長と結んで駿河を、豊臣秀吉と和して関東を支配。豊臣秀吉の死後石田三成を関ヶ原の戦いに破り、慶長8年(1603年)征夷大将軍となって江戸に幕府を開いた。武家諸法度などを定めて幕政の基礎を築いた。